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【宵霧亭放談】負けっぱなしの冒頭と村焼きについて考える

 主人公の生家がある村を焼く。

 ただそれだけのアクションで追い込まれた主人公からは相当な推進力が発生することが完全に証明されている。

 上記のヨコオタロウ理論は正確には「殺す!」という動詞エンジンに積む燃料とかどんな乗り物にするかの話だった。

 物語系の創作はよくトロッコとかジェットコースターにたとえられるわけで、この場合とにかく加速して加速して加速し続けるには何を足し引きするかという方法論のことを言っているのだろう。

 おれの800字パルプ「アダムの肋骨となりて、君を知る」は、地球上のすべての男性を美少女化しようという俺の欲望がトゥーマッチすぎて、主人公がかたき役を「殺す!」とまで感情を爆発させることができなかった。

 主人公が負けっぱなしで「TO BE CONTINUED…!!」とやってしまうのは特にアマチュアの典型的失敗パターンらしい。

 無意識に主流派と違った意外性を出そうとしているとか、まだ具体的なヴィジョンは見えないがとにかく脳内から湧き上がるアイデアを大事な時のために(それは明日やるのか?)温存しておきたいという意識から、勝ち負けを引き延ばした泥仕合を読者に読ませてしまう。

「いつかきっとこいつをぶちのめして優勝するんだよ……!」と作者が考えていても、現代のテンポ感でそれを待てるのは相当作者と読者が心の中で同盟の調印を結んでるレベルのリレーションシップだけであって、一寸先は未完の虚無でいつEND OF MEXICOするともしれないおれのようなガンスリンガーのそんなへなちょこ弾に当たるやつはいない。

 おれはゲーム・キッズだから、初めからレベル100だったやつが今は勝てない強大な敵にレベル1にされたところからストーリーが始まったり、続編で前作の装備や重要アイテムが全部なくなったりするお約束を当たり前のように感じているが、それはサルーンのカウンターで流れ者が訥々とつとつとしゃべり出すパルプの冒頭には似つかわしくない。買ってきた一本のゲームソフトを暇さえあれば攻略していくのと、今から酒場の客に物語を話し始めるのとでは全然違うことを、わかれ。ゲームはプレイヤーに絶え間ない刺激をあたえる。そのためのレベル100からレベル1だ。「おれは絶対レベル100になってオープニングに出てきたいけすかない奴をぶちのめすぜ」という気分になっているので、その冒頭は有効だ。しかしたった今思いついたパルプを酒場で話すというときに、冒頭で倒せなかったやつをいつかきっと必ずぶちのめすとかゆっても、酒場のごろつきに「おい赤ちゃん、そいつはいつまで主人公の成長を待ってくれるんだい」とかゆわれて実際そこまでこの長々しい話を続けられないかもしれないとビビっちまって、ミルクを一杯飲んでから泣いて帰ることになるかもしれない。

 おまえは「オルクセン王国史」という興奮する真の男のための書籍(原作小説とコミカライズがある)を知っているか? 単におれがレコメンドしたいというだけでなく、そこにはエンタテインメントの冒頭がどうあるべきかを示唆する重要な栄養素が含まれている。

 この漫画では8ページ読み進めるだけで主人公の村が焼かれる。しかもダーク(闇)エルフ族に対する白エルフ族という同胞の軍隊によってだ。

 先陣を切ってる軍人が明白に差別発言をして根っから悪そうな顔をして主人公のなかまをころす。圧倒的な悪と暴力だ。おれは血と硝煙のにおいに興奮を高める。

 しかし主人公も腰抜けではないので、さっきまで悪そうな笑顔で話してたいちばん偉そうなやつを遠距離からライフルでヘッドショットスナイパーキルする。しかも一発でだ。1話を何分割もするコミックアプリでも、ここで一旦「つづく」になる。

 もし、あのまま主人公や村人たちが負けっぱなしで「TO BE CONTINUED…!!」だったら、おれの興奮はそこで止まっただろう。

 この後主人公たちは敵の侵略から必死に逃げ、行き倒れになったところをオークの国に拾われるわけだが、第一話の終わりでは取り残された同胞を渡河作戦によって救出するという展開になる。

 負けっぱなしで終わるものか、一族の仇を絶対に許してはおかないという外向きのパワーがアクションを生み、この世界の歴史のうねりに影響を与えていく。

 あとはオークの国はメシが旨いとか、ミリタリーに関してのこだわりがすごいとか、そうゆうテクニックも作品の枝葉となって読むものを楽しませる。

 そういう興奮する話の冒頭を800字に込めるにはどうしなくてはならないのか、という話をしているのだ。

 もののたとえでしかないが(原作小説の文字数をカウントしてみたらはっきりすることだが)、これらの情報量は800字に収まらない。おれの野生の勘がそう告げている。

「ひどいやつらが村を襲っている。ひどいやつらは好き放題ひどいことをしておりどうしようもない。そこに主人公が出てきて一発くらわせる」というログラインから話を組み立てたとしても、ひどいやつらのひどいこと次第ではスケールがでかすぎて主人公が一発くらわせてもそこまでで【続く】になりアクションが停滞する可能性がある。

 漫画「オルクセン王国史」のあの冒頭は、白エルフ軍隊の中でも現時点で一番悪そうなやつを一発で殺すことで、多角的なテクニックを凝らしている。

 主人公は真の男(概念)であり、ライフルの腕前もすごい。あたかもボケに対するツッコミのように、さっきまで悪いこと言ってた悪い奴を一発で永遠に黙らせてやる。

 読者はさっきまでの暴力と差別の悪に溜飲を下げられるだけでなく、この偉そうな悪いやつを一発で殺せるんだったら、もしかしたら反攻作戦もうまく行くかもしれないなという期待感を持つ。

 彼我の戦力差が違いすぎるので撤退するしかないとしても、それは主人公の弱みである仲間や村人を救い出すための能動的なアクションだから彼女らは負け犬ではない。またその時に味方から「どうしますか?」と水を向けられていることによって、主人公のリーダーシップがどれほどのものかも明らかになる。

 そして逃げたからには、逃げた先でどうなったのかも描写せねばならない。さすがにそこまたぎで「TO BE CONTINUED…!!」はダメだ。待てない。
 逃げた先で行き倒れになった。それを誰かに発見された……そして……気がつくとオークの国の病室だった。という驚きをテンポよく配していくことで読者の刺激を生む。ページをめくる動きを加速させるのだ。

 以上の考察からおれが導き出した結論は、「最初から主人公は一人くらいブッ倒して次に行け」「冒頭800字から真の男と宿敵のエンドレスバトルを始めるな」ということだ。

 むろん絶対の真言などではない(誰も信じるな、おれも信じるな)が、おれが最初から宿命のライバル関係を描こうとしたからこそ「アダムの肋骨~」も「原始人ジロ」も、完全決着できないまま【続く】になってしまった。

 読者の興奮する道筋を用意できないまま、終わってしまったのだ。

 どんな冒頭だと興奮する? おれはこの夏始まったばかりの「ウルトラマンアーク」第1話を見た。そこでは最初から怪獣とウルトラマンが戦っており、ビルが壊されたり倒壊するビルをウルトラマンが支えたりする危険な世界なんだなということが一発でわかって興奮した。そして怪獣とウルトラマンについて報道する朝のニュース番組が流れる部屋で主人公が出勤前にあわただしく動き回っていた。
 今のところウルトラマンの正体を知っているのはこいつだけだが、なぜ主人公がウルトラマンになったのかは明かされない。

 ここでの冒頭は世界観を確立し、有無を言わさず視聴者をこの世界へ引っ張り込む性能を発揮している。

 小説でこれをそのままやるにはカット割りの解釈が難しく、特に800字パルプにおいては説明書きだけで文字数を食うのはナンセンスだとおれは感じているので、あくまでも「怪獣と巨人がビル街で格闘するのが日常風景の世界」という世界観をどのような情報で伝えるか、という意味で引用した。

 今日の言い訳も3000文字を超過したので、話がまとまっていない気もするがここで終わる。

 これはインプットと称して小説から背を向けた行為なので、おれは今すぐに練習を再開しなくてはならない。パルプのGUNはいじくりまわすものではなく、狙いをつけて弾丸を撃つためのものだからだ。

(終)

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