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中年フリーターが見た車窓の風景【転落人生-倒産編2/8】

ここまでのあらすじ

大学院で学びなおすという目的のため、新卒で入った会社を約3年で退職。勉強の甲斐もあり、目的の大学院へ入学できたものの、目標としていた成績に達することができず、やむなく退学して再び社会人の道へ。

ただ、ことはそう簡単に運ばなかった。なにせ、チグハグな経歴の私を採用したいと考える奇特な会社はどこにもなかったからだ。

そんななかでも、なんとか自力で探し出した再就職先。人生の軌道を元に戻すべく必死に働いた先には何が待っていたのか。

悲惨な転職失敗談は、ここから幕を開ける...

前途多難な再就職活動

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新卒で入社した会社を約3年で退職した。

そこから大学院に入りなおして一生懸命勉強したが、思ったように成績は振るわず、1年半で自主退学することになった。

そこからはすぐに再就職活動を行い、人として働き始めることを決意した。

しかし、この再就職にあたっては、かなりの苦戦を強いられた。

そもそも何かに特化したスキルがあるわけでもなく、見れば見るほど何をいしたいのかよく分からないチンプンカンプンな経歴だ。

約30社ほどに応募したものの(今思えば、かわいいものだ)、箸にも棒にも引っかからない始末。
さらには、転職エージェントはこんな私を相手にしてはくれず、お決まりのように言われるのはこのセリフだ。

『ご希望に沿う求人があればあらためてご連絡します』

要は、『あなたには紹介できる案件がないですよ』と言われているわけだ。

それなら自分で探すしか道はない。私は自力で応募先の会社を探すことにした。

さて、どうするか?

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媒体に求人を掲載していない企業は意外に多い。私はそんな企業や事務所をネットで検索し、電話で採用活動をしているかどうかを直接問い合わせた。

我ながらよく頑張っていたと思う。

門前払いされることも多かったが、やっとのことで応募可能な会社を見つけることができた。

当時まだ30歳すぎの年齢だったことも幸いして、なんとかその会社から内定をもらうことができた。

詳しい職種は言えないが、大まかにいうと士業だ。なぜ士業を選んだのかというと、これまで勉強してきた内容を活かせそうだったからだ。

しかし実際に働いてい見ると、この仕事に面白味を感じることは全くなかった。

最初のうちは「仕事を始めたばかりだから、実感はまだ湧いてこないのだろう」と自分に言い聞かせ、修行のつもりで一年ほど仕事に打ち込んだ。

本を買って自主的に勉強したり、社内の資料を引っ張り出してきて自分なりに研究してみたり。

そんななか、新人が入社してきた。彼は社長と出身大学が同じらしく、よく可愛がられていた。

しかし、これが後々、私に大きな影響を及ぼすことなる。

というのは、この数か月後、少しづつ彼に優先的に仕事が回されるようになった。私としては仕事上でヘマをやらかした覚えもなかったので、この状況には不満抱いていた。

そこで私は、自分の指導係に当たる上司に相談してみたが、『君はこの仕事に向いてないのかもしれない。早めに辞めたら?』と、まさかの返事...

もしかしたら私の年齢を考えて、早めに再スタートを切ったほうがいいという上司なりの親心だったのかもしれない。

しかし、励ましの言葉を期待していた当時の私は、この言葉に大きなショックを受けた。

その後、この先も仕事を続けていくべきかどうするか、散々悩んだ挙句、私は仕事を辞めることにした。

無職アルバイトへの転落

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辞めるときには実家と一悶着あった。

新卒で入った会社を3年で辞め、大学院を1年半で中退し、その後せっかく入った会社も辞めてしまう。

両親はそんな堪え性のない息子に呆れていたのだろう。

ただ、当時の社内には相談に乗ってくれる人が誰もおらず、私は精神的に随分と参っていた。

ここに残っていても窓際に追いやられるだけだし、根本的な悩みは解決しそうになかった。

そして、退職を思いとどまるよう父と母からの説得が始まる。そうなるといつも電話越しでの口論になる。

そうした状態が1~2週間ほど続き、私はついに、誰が何と言おうと仕事を辞めると宣言し、一方的に電話を切った。

私はもう限界だった・・・

翌日、出社してからすぐに社長に退職の意思を伝えると、特段の慰留もなく、翌週には退職することになった。

退職願の提出

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この会社にとって私はその程度の人材でしかなかったということだ。全くの戦力外だったのだろう。

ここを辞めてからは自責の念に駆られて落ち込む日々が続いたが、そんなこととは無関係に生活費は発生する。

当然ながら、無職の私は経済的に行き詰る。無収入の生活はやはりきつい。

そこでやむなくアルバイトを探すことにした。

ネットで見つけたのは、巨大冷凍倉庫の中で荷物を仕分ける仕事だ。

少しでも多く稼ぐために、時給の高い深夜帯で働くことにした。当時まだ30代ということもあって、わりとすんなりと採用された。

このアルバイト先には20代~60代まで色々な年齢層の人が働いていた。

なかには明らかにヤバい人もいた。
どうヤバいのかというと、レゲエにどっぷりと影響を受けているようで、40代も過ぎているというのに全ての行動がそっち系のノリなのだ...

とはいえ私も無職なので世間一般から見れば十分にヤバいのだが、それを上回るヤバさだった。ヤバいというか、痛いレベルだ。

まあ、そんな人のことはどうでもいい。

決してこのアルバイトの内容がつまらないわけではなかった。作業していれば時間が経つのも早いし、数人ではあるが雑談できるような顔見知りもできた。

しかし、これを本業としてやっていくのはなにか違う。

私はまだそんな年齢ではないはず。このバイトはあくまで次の仕事が見つかるまでのつなぎなのだ。

深夜帯のアルバイトだったので、勤務が終わるのは23時過ぎ。帰路の際は、職場と最寄り駅の間を運行する従業員専用の送迎バスを利用していた。

疲れた体を座席に沈め、ぼんやりと車窓を眺めていると、窓の外には都心の華やかなビル群が見えた。

「これから先もこんな生活が続くのだろうか?俺はもう終わったのかもしれない...」

このときの絶望感は今でも忘れられない。

【絶望的な転落人生-倒産編3/8】へ続く

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