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40代無職男のプロフィール【転落人生-倒産編1/8】

私は学生時代に分子生物学を専攻していた。
わかりやすくいうと、組み換え遺伝子などを扱うバイオテクノロジーだ。

しかし当時、分子生物学を活かすことのできる就職先は今よりもはるかに狭き門だった。入社できる学生といえば、ごく一部の有名大学出身者に限られる。

地方大学出身の私には入社試験のエントリーすら難しく、かろうじて面接を受けさせてくれるのはベンチャー企業や地方にある小さな会社くらい。

都会で働きたいと思っていた私は、早々にバイオ産業に見切りをつけていた。

今思えば、これは短絡的な考えで、中堅どころの食品関連企業の研究職を狙っておけばよかった。

インターネットとの出会い

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ちょうどその頃はWindows95の発売が大きな話題になっており、まさにインターネット黎明期。その様子を見た私は、これからはソフトウェアの時代がやってくると確信していた。

都会に憧れを抱いていた田舎生まれの私は、これこそ東京に出るための絶好のチャンスと捉えた。
そんな私が就職先として目を付けたのは、情報通信業界だった。

東京にある某大手通信メーカーからSEとして内定をもらい、インフラ制御システムを構築する部署に配属された。

仕事にもやりがいを感じていたし、私の両親も息子が大手企業に就職したことに安心していたと思う。

ただ、この頃は残業礼賛の風潮だった。まさに「24時間戦えますか?」を地で行く業界。
1日のスケジュールはというと、始業直後から数件の打ち合わせが始まり、終わるのは夕方。

そうなると、肝心の作業は17時くらいからスタートとなる。そんなことをしていれば当然、帰宅時間は日付が変わる頃になる。終電間際にあわてて荷物を片付け、駅までダッシュする毎日だった。

幸いなことにサービス残業こそなかったが、月の残業時間が150~200時間に及ぶことも珍しくなく、帰宅時間が深夜の2時を回ることもしょっちゅうだった。

そんな労働環境のため鬱になってしまう同僚も多く、ある日突然、出社しなくなるといったケースもたくさん見た。
そんななか、私は社内でも有名な泥沼プロジェクトに放り込まれることになった。

右も左もよく分かっていなかった当時の私はこの状況をよく理解していなかったが、実際に仕事をしてみると、このプロジェクトをマネジメントする管理職は短期間で何人も代わっており、その仕事の過酷さを物語っていた。

また私自身も軽度の円形脱毛症になっていた(美容師に指摘されてはじめて知った。自覚症状がなかったようだ)。それだけでなく、白髪の量が一気に増えた。

そして絶望的な転落人生へ

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ちょうどこの頃、ニュースでは連日のように、新たな大学院の立ち上げ構想が大きく取り上げられていた。

いつ終わるとも知れない泥沼プロジェクトで働くうちに、精神的・肉体的にボロボロになった私には、その大学院で勉強しなおすことがとても魅力的に映った。

また、長時間の残業が当たり前のSE稼業を続けていれば、いつか体と精神のバランスを崩してしまうのではないかという不安が常にあったため、この状況から逃げ出したいという思いもあったのかもしれない。

そうしているうち、大学院でもう一度勉強し直したいという気持ちが抑えきれなくなっていた。色々と悩んだ結果、仕事を辞めて大学院で勉強し直したいという思いを両親に告白した。

当然、簡単には理解を得られない。何度も話し合いを重ね、条件付きで大学院への挑戦を認めてもらうことができた。

その条件とは、1年間で上位10%の成績をとること。
それができなければ、再びサラリーマンに戻ってほしいと言われた。

確かにその考えには一理あるし、息子の将来を心配する親の思いとしてはもっともだ。

人生初めての退職

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私はその条件を飲み、会社を退職して大学院受験に挑戦することにした。
そこからは本当に一生懸命に勉強した。

安アパートに引っ越し、テレビも処分して、入試に合格することだけを目標とする日々を送った。

その甲斐もあり、なんとか希望していた大学院に合格することができた。

大学院での専攻分野は今まで学んだことのないものだったので、同級生に追いつくためにひたすら勉強した。一世一代の大勝負だ。

ほぼ毎日、学校の図書館にこもって教科書とにらめっこし、学生たちが自主的に作ったゼミで答練する日々が続いた。
少し経つと得意教科もでき、ある程度の成果も出始めていた。成績も決して悪くはなかった。

しかし、1年間で上位10%の成績をおさめるという両親との約束は果たせなかった。

再びサラリーマンへ

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もう少し若ければまだチャンスはあったかもしれない。しかし、約束は約束。結果を残せなかった自分が悪い。

非常に残念だったが、私は再びサラリーマンに戻るべく、大学院を中退して再就職活動を行った。

当時は今ほど転職エージェントが一般的でなく、苦戦を強いられた。そこで、手あたり次第、会社に直接電話をかけて履歴書を送るなど、かなり積極的に就職活動を行っていた。

その甲斐もあって運よくある企業に転職することができた。
『夢はかなわなかったが、再就職できただけでも運がよかった』と自分に言い聞かせ、社会人として再スタートを切ることになった。

この時はまさか、後の自分が無職40代中年バツイチ男として転落人生を歩むことになるとは夢にも思っていなかった。

そしていよいよ、絶望的な転落人生が幕を開ける。

【絶望的転落人生-倒産編2/8】へ続く

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