〜ジャニーズ問題、「何が」問題か私はこう考える〜
例のジャニーズ性加害問題、もちろん7日の会見も観たし、引き続きありとあらゆる記事にも目を通してるんだけど考えすぎて頭から煙が出そうで少し時間あけてました。
最終回を迎えても、なお『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』が良すぎて、書きたいこともあるし、まだまだ余韻に浸ってたいんだけど、ひとまずジャニーズ問題について。
体感ですけど、3月のBBCから推移を追ってきて、ようやく自分の肌感覚の「おいおいマズいぞ」っていうのと世間の反応が一致した気がしています。(もっとも、先駆者の告発された方やジャーナリストからしたら「30年以上かかったわ……」という思いでしょうけど。)
ジャニーズ事務所記者会見の翌日に、各局揃って「沈黙」してきたことに反省を述べていたけど。沈黙よりも「取引」を続けたことのほうが深刻だし、事務所側が記者会見するまでずっと各局揃って「タレント側に非はない」と思い込ませようとする刷り込みがひどかった。
少なくとも、タレント起用を続けることが局もスポンサーも性加害を容認していることになるという危機感を発信した人はテレビメディアには誰もいなかったと思う。なぜならば、そこに触れてしまえば事務所も局(スポンサー)も都合が悪いので敢えて触れずに報道しようとしてきたのだ。それだけ、24時間テレビまではなんとしてでもやりきりたかったということか。
現在のところ、「社名を変えない」という表明があったことで、ようやくその辺の議論に発展し始めたという印象です。あくまでも「疑惑」でグレーの範疇だったから、事務所側が公式に認めて謝罪するまでスポンサーは待っていたのかもだけど。にしても、これだけ国連に指摘されて、報告書にもあれだけ赤裸々に性加害が綴られていてもほとんどのスポンサーが動かなかったわけだから。どうかしてるし薄気味悪いホラーなのかと言わざるを得ない。
社名を変えないというのは所属タレントに聞き取りした結果だということだけど。確かにあのオウムや統一教会ですら名前を変えていることを鑑みればあり得ないことである。だからと言って、タレントの意識を詰ってもそれも酷だというもの。確かに被害者に対する償いよりも、会見の場で引退することを「夢諦める」と言えてしまう新社長や、今後もしっかり活動していくことが被害者に対しても反省になると信じている所属タレントの『ジャニーズ様』の特権意識には唖然とする面もある。それでも無意識の防御本能で彼らはいまだに信じたいのだ、素晴らしい一面を持った統率者であったと。だからこそ、未だに『ジャニーズ』のその名に誇りを感じるから、再出発の旗印にしたいと罪悪感も覚えず言えてしまうのだ。良い人だったと思い込まない限り、アイデンティティの危機だろうから。直接被害を受けたかどうかはさておき。その名の下に集ったというだけで、いわば彼らも未だグルーミングが解けない「被害者」で同情する面もある。しかし我々は違う。
調査報告チームの会見後、事務所側の会見までに『スポットライト』という映画を観た。今回のジャニーズ問題を考える上で非常に参考になる作品だった。
ものの見事に今回の問題と構造が一緒だった。多くは貧しい家庭の子どもがターゲットにされ、被害者は一様に、「牧師さまに特別な仕事を任されたことは嬉しかった、誇らしかった」と振り返っていた。性加害問題としてはよくよくありふれたパターンなのである。
ジャニーズ事務所の創設者には神通力、ましてや特別な審美眼なんてものはなかったのだ。『スポットライト』に登場した数多くの牧師同様、ただの病的に変態な男に過ぎない。我々がそう捉え直さない限り、何が問題なのかも見えてこない。
ジャニーズ問題、そして7月から始まった文春による「木原報道」といい、皮肉にも大手メディアの欺瞞がめくれる夏となった。私たち国民がどう報道メディアと付き合うのか分岐点にいると言えるのではないか。
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