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まず寝巻きを畳むようなこと

心は揺さぶられ、家は荒廃し、思考は散漫な一週間だったように思う。一番楽しかったのは、午前2時にタクシーでPlayStation VRをしている会社の上司のところに向かったことだ。

今週は、いつもなら会社に泊って仕事にしがみつく所を、家に帰って寝ることが多かった。会社にいても仕事をしないことが明白だから、ベッドで寝て回復を促そうという意図である。

前の会社を辞めるとき、カウンセリングのようなものを受けた。そのとき聞いて覚えているのは、体の疲れは、取れたと思っても治癒が十分でないと蓄積していくという話だ。お前が会社に行けなくなったのは、体に疲労が蓄積し、心が着いてこなかったからだという説教なのだが、何となく納得してしまった。

編集の仕事をしていると、心の疲労と体の疲労のバランスが取れなくなることが多い。バランスが取れなくなるというか、2つの境界が曖昧になる。もちろん、明確に分けられるものではないとは思うのだが、体の疲れのせいで、心が弱くなりダメージのポイントが上がることが増える。その結果、ダラダラ徹夜をしたりして、体のダメージにもつながる。

底が意地のようなもので成り立っている仕事だからこそ、心も体も十分に気をつけなければならない。偉大な先輩がサーフィンとサボテンを愛する姿をみて、そう学んでいる。

個人的には銭湯に入ることが、その機能を果たしていた。ただ、引っ越しの関係で、それは疎かになりつつある。いまの環境に適応しなければならない。

おぎやはぎがラジオで言っていたという、朝起きたときに寝巻きを畳む習慣をつければ自ずと生活全体が整いはじめる、という禅僧の教えが好きだ。プラスに向かう行為を習慣として譲れないところにすることは、生活を保つために必要だと思う。何かから、はじめないといけない。

銭湯に行くという行為は、自分の位置に依存している部分があった。そういう意味では、日記を書くことというのは、どこでもできていいなと思う。頭のことを出して整理して、人が読めるレヴェルの文章をつくる。これが毎日できたなら、何でもできそうな気がする。