スマホ中毒者、やめたい

noteから離れていたのは意図的なものではない。別のアカウントを作って自分のネット上の人格と現実の人格を混ぜようとしていた。

気が狂ったのでやめた!

やれることとやれないことがある。明らかに違和感のある行動はしない。そうだ僕は僕のために生きる。
あまりにも見下しを受けすぎて生きて来たために、全ての人間に対して引け目負い目を感じていた。もう少し我儘に生きれば解決するのではないか、と。自分の中ではその結論に至ってはいたものの、信頼できる他人に言われることによって自分を安定させることができた。面白くはないかもしれないが。

僕は僕として、ほとんど動作の気力がなくなった。移動時間中にGarageBandで思いついた音をメモしていると乗り過ごすほどのめりこむ。
家の中ではスイカゲームをしている。スイカゲームの虜だ。スイカゲームの動画を見て、スイカゲームをしていた。スイカゲームするか寝てるかしかしてないと親に指摘され、自分に激昂してスイカゲームを削除してしまった。Appleの支払いを滞納しているため、消したアプリをインストールすることはもう出来ない。

ドーパミンデトックスを行いたい。
instagramやYouTubeに脳を毒されて、何もかも始められない。始めるのが一番大変だ。酩酊状態に近い感覚で、脳が起きていない。
始めないことには起きないが…

起きるのは辛い。起きているのは辛い。常に寝ていたい。現実は辛い。夢の中にいたい。夢の中にいる。起きている時は浮遊感がないよな。起きていても、何も考えずにフワフワと浮いていることができる。脳をその薬物漬けの状態から覚醒させることは難しい。だってまだ寝ていたいでしょ?

危機感が無いから始まらない。
もうね、「やってみたいな」じゃあ何もできない体になってしまったんですよ。新しいゲームも始められないし。コンピュータも触れない。微小な快楽を常に求め続けている。

昔ねこぢるがインドルポ漫画で言っていた、ヘロイン中毒になった男。つま先を1年間見続けて死んだ。
同じだよなぁ?tiktokやYouTubeにどっぷり漬かって…ウー。

薬中がヤクをどうやって抜くのか、参考にした方がいいな。多大なる苦痛を伴う。辛すぎることはしない方がいいって思ってたけど、それとこれとは話が別だわ。薬物中毒者が薬を抜くのは健常者からしてみれば素晴らしい行いだ。
やばい。嫌だ。怖い。その快楽がなくなってしまったら自分が自分ではなくなってしまうのではないかという恐怖であったり(しかし、これは現状を維持しようとする本能であると左脳が今日は言う)、快楽漬けではなくなった世界で鮮烈な現実に絶望してしまうのではないか。
それはそれとして対峙してみたい。実際のところ現実はそれほど恐ろしいものではないのかもしれない。
恐怖を克服した先に現実が見えるかもしれない。現実を見るのが極めて恐ろしい。僕は臆病だから。臆病ものがするとは思えない行動を、なんとか合理的に導き出して、脳がドーパミンで麻痺してる間に勢いで行動してる!狂う!こんなもの続くわけがない。錆びついた車輪を強引に動かすのではなく錆び取りをしよう。ドーパミンを抜こう。なぜならその動作の後、長い長い絶望を食らってしまうから。進んでみたはいいが、情報を知ることによる絶望をドカンと食らう。
無知の自信、情報の絶望、どん底、情報の希望、実力の自信。
だっけな、エックスで見た。
あとキチガイ論も。

情報による絶望と、どん底を乗り越えられません。まともな情緒してたら乗り越えられない壁のように思う。えげつない根性してる。ほとんどの人間がどん底の人生を送る理由がわかる。

別にこれ、正しくないわ。こんな風に全てを包括できる物理法則は、もっと美しいはず。

行動して無知ゆえに打ちのめされる。いきなりやれないんだ誰しも。
とにかく視野を広げろって…ほんとかな?

錆びついた車輪の錆び取りを行って行動力を身につけ、身につけるというか、また動かしていれば初動がキツいだけなんだけど。やりたいんだからやればいいのに、それをやれないって異常な状態だし楽しくない。
あー動けないのはマジでクソだから、こんな状態になるまで放置しない方がいいよ。

スマホとの向き合い方考えます、ホント。
あーでも自分でなんとか出来ないかもね〜。病気だし

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