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日本版『CUBE』感想・ネタバレ

日本版『CUBE』という映画自体は、それなりにおもしろかった。
私はカナダ版『CUBE』の説明のなさ・突き放したかんじが好きだけど、日本版のほうがいいという人もいるだろう。
俳優さんたちの演技はどれもよかった。
こういう映画がもっと制作されてほしいし、迷ってる人がいたら観て! と言ってる。

ただ1点、納得できない部分がある(他にも、湿っぽい情とか日本版でテーマにしてるものの描き方があまりに表面的とか批判的になる部分はたくさんあるけど、それらとはまた別次元で)。作品以外の情報(監督インタビューとか。あるんだろう、きっと)にはまったくふれていないので、私が映画を観て感じた限りの内容になる。
以下、完全にネタバレなので注意。









甲斐麻子の位置づけが承服しかねた。
どういう意味かというと、あとの登場人物は全員男性。そこに甲斐が(参加者ではなく)「観察者」としているというのは、「男社会」、「男社会からみると異質な女性(性)」という意味合いになる。
「作中で描かれている現代社会の軋轢や問題には<女性>の視点が入ってない」というのをあまりにも顕著に表した構図だし、それがまったく問題視されていない。女性の問題を単に描けばいいというのではなくて、その点が作中から排除されていることへの内省がないように感じた。
つまり、作中で描かれた「男性の問題」は「人間一般の問題」で、描かれなかった「女性の問題」は「女性の問題」にしかならない(から物語にされなかった)という姿勢を、作り手が無自覚にとっている。
(正体はなんであれ)甲斐は、他のキャラにほぼ共感や感情移入をしないようにみえる不可思議な存在として描かれている。でも彼女がそうみえるということ自体が、「他の男性キャラ(≒監督)の目線」だと思えた。
古いSF作品によくあるパターンで、それをいまだに再生産してるのかと、そこはうんざりした。

(キャラの意味づけという意味では、97年作のカナダ版の方が人間としての多様性を出してた気がする。でも昔に観たきりなので、これは見返さないとわからない。
「経験則を基にする老人の行動」と「法則性を見出す若者の行動」の対比なんかもおもしろかった。)

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