わたしという人間 2

小学6年生に上がった頃には
明確な自殺願望が芽生えていました。

時にはベランダ(3階)に腰掛けてみたり
ドアノブに紐を括りつけてみたり
色々画策していました。
当たり前のようにリストカットも。

一回ベタだけどお風呂場で
深めのリストカットをして
大量の風邪薬を飲んだ時は
流石に救急車で運ばれ、
二度としないと誓うか
児童養護施設に行くか
の2択を迫られました。
こんな人間でも生きる権利はあったんだな。

中学生になってからも相変わらず
リストカットは続けていました。
この時には制服や部活着の事もあり
二の腕にうっすらと、になっていました。
その中でも心境の変化はあり
少し自発的な人間になろうと
学級委員に立候補していました。

部活では目立つ子たちに煙たがられ
少し虐められたりもしました。
当時携帯電話を持っていなかったので
知らないところで知らない話をされている感覚でした。
よくある話で
前髪ぱっつんとか似合ってないのに
七三分けにしてきたwww
地味なんだから黙ってろ
その他もろもろ言われてきました。
実際地味ですし異論はありません。
すぐに終わりましたしね。

高校生になってからは
仲のいい子がなかなか出来ず
自発的期間も途切れ
ひっそり生きてきました。

入学すぐの宿泊研修では
仲の良い子が出来ましたが
その子はとても気分屋で
どうしたら怒らせないか
どうすれば機嫌よく過ごしてもらえるか
そんなことに気を向ける日々でした。
彼女もわたしも希望進路が同じだったため
選択科目が被ることが多く
気の休まらない毎日でした。


2年生に上がってから彼女と離れ
仲の良い子のいないクラスになりました。
その中で新たに仲良くなった子が
入学当初から有名な(いい意味でも悪い意味でも)子でした。
その子も気分屋で通学で通る予定のない駅に迎えに行ったり
彼女を家まで送り届けたり
彼女がバスに乗るからとバスに乗り
別れた後に学校まで自転車を取りに戻ったり。

思い返せば何故そんなことを?
と思いますがその頃は
1人になるのが怖かったんです。
彼女とは選択科目が違い授業が同じことは
主要科目だけでしたが
これが選択科目までと考えたら
今でも寒気がします。

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