わたしという人間


自分の中の整理として身バレしない程度にちまちま書いていきます。


わたし という人間は関西に生を受けました。
生まれてから3年近くはのびのびやりたい放題に生きてきました。
何をしても可愛いと言われ蝶よ花よと育てられてきました。
ところが下に2人生まれてからというもの、わたし という人間は長女だからお姉ちゃんなんだからという典型的な具別のための形容詞。
わたし 個人ではなく、姉であるわたし になりました。


その頃から周りの対応も変化しました。
姉であるわたし、長女であるわたし。
聞こえてくるのはお姉ちゃんなのになんで出来ないの。長女でしょう。の叱咤の声。
それでも幼児前後期は不自由なくそれなりにのびのび過ごしていたと思います。


小学校に上がり今までと変わらず叱咤の声を受けつつ 姉であるわたし に訪れたのは慣れない人との共同生活です。
人見知りに加えて赤面症もあり1人での発表では吃音症が出るなど年齢を重ねるに連れて症状は酷くなりました。
現在吃音症は治まりつつありますが完全には治っていません。


小学校に上がって2年3年の頃に勉強でつまずきました。
割り算分数等が出来ず居残り常習犯になりました。
4年の新学期には春休みの骨折により1週間遅れでクラスに入りそのすぐ後に祖父の死去で1週間忌引とメンタルケアのため休みました。
トータルで1ヶ月遅れで正式に進級した気持ちでした。
ここでもまた勉強に対し苦手意識が芽生えグループディスカッション等の発言の機会が増え、担任からも母からも叱咤される日々が続きました。


5年になった時周りの友達との関わり方が変わってきました。
所属していたグループでは校区を破り遠出をすることはもちろん校則で禁止されている友達同士での商業施設へ行っていました。
初めのうちは断っていたのですが何回も断ると嫌味のように誘っても来ないよね。と言われるようになり、焦った わたし は母に内緒で行くことを決心しました。
しかし遠出先で友達とはぐれてしまい1人迷子になり心配した友達が家に突撃、母に内緒の遠出も商業施設へ行っていたことも見事にバレ友達の前で引っぱたかれました。
そこからわたしの母は人の目があっても子供を叩ける母、という認識になったようです。


その頃から自尊心なぞはとうになく、母に何も出来ない人間のレッテルを貼られ続けた わたし には自殺願望が芽生えました。

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