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Gal and culture vol.2

前回(下記参照)、精神ギャル人間の存在について少し書かせてもらったが、今回はその続きを書いていこうと思う。

まず、ギャルと聞いて思いつくものはなんだろう。少女コミックで主人公となるような、または冴えない主人公(後にギャルによって大変身したりする)が初めて仲良くなれた友達のような、見た目が派手で明るい女子高生。といったようなイメージを思いつく人が多いのではないだろうか。

ここでいう精神ギャルとは、大きく説明すると、見た目ではなく心(脳の動き)がギャルで、生きるうえでのマインドが良い意味で適当。しかし自分の芯の軸は決してぶれないというような人間をさす。

ではギャルの心の中はどうなっているのか。

答えは"超自由"。ギャルは自分が世界の中心だということを生まれた時から理解している。そしてこの世に1人しかいないことを感覚的にも感じている。

自分の人生は自分で操作するし、死ぬ時は誰もが一人だ。しかし自分以外の誰かの目を気にして生きる人は悲しくも多い。人間は本能が壊れてしまった動物だとフロイトはいう。人間らしさともいえる「他人の目を気にすること」は壊れた本能の生み出した生きる知恵なのかもしれない。しかし、現代の人々はそれを少し気にしすぎてはいないだろうか。SNSでのいいねだけがこの世の全てではない。他人からの評価は本当に正しいと言えるのか。賛否両論があるからこそ面白いと言えるのではないだろうか。思うことは多くあるが、それでも大丈夫な人が築き上げてきたものも沢山あるのでこれにも正解はない。

その点ギャルは、自分の人生にオンリーワンの価値を見出している。自分が良いと感じたものが良いと信じている。他人からの評価でたまに傷はつくが、その傷も戦士の傷として人生の面白みとすることができる。そして人生を楽しんでいる。辛い時間は限りなく少なく、楽しい時間を沢山の人と過ごすために毎日を必死で生きている。自分が自分であることに誇りを持ち、それを受け入れてくれる人間とともに自由気ままにこの世を泳いでいる。

想像してみてほしい。誰もが自分の人生を必死にもがいて毎日しっかり生きている世界を。その中につまずいて転びそうになった人がいたら助け合うことのできるコミュニティを。それはまるで太陽のように暖かくて、海に反射するようにキラキラしていると私は思う。

毎日を遊びのように過ごすのは、生きづらいこの世をうまく泳ぐコツかもしれない。

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