下書き①

これらは、いつの日かに思いの丈をただ思うがままに記したもの。何のまとまりもないけど、いつかまとめたいと思って殴り書きしたものだけど、もうまとめれないから下書きという題名で遺しておきます。たまに途中で文章終わってるものもあるけど(笑)いつかのその時の私の気持ち。

ずっとそわそわしてた。いろんな意味で5年間の節目がくるのかもしれないと。今少し振り返る時なんだと思う。

ざっくり言うとこの2年間は地獄だった。果たして自担と真正面からぶつかったことはあったのだろうか。
気づいた時には自担のシンメは関西のステージにいなかった。気づいた時には大切な人を失っていた。気づいた時には自担は大阪にいなかった。
突然だったかと言われるとそうではない。だが客観視するとそれは突然だった。
大切な人を失ったことが1番大きいと思う。悲しみから立ち直るのにかなりの時間が必要だった。彼らはその立ち直りが落ち着く前にどんどんと新しい道を進んでいった。

新しい春が始まって1番初めはSexyZoneのコンサート。そのオープニングにはわたしの自担が追加されていた。6人で新曲を歌った。キラキラ輝いている新生6人を後ろから見る大西流星の姿もそこにあった。
次がまいどジャーニーの収録。そこには1人いないけど、いつもいたツッコミがいないけど変わらない大好きな5人の姿がそこにあった。温かさしかなかった。みんな心の底から安心した顔で笑ってた。
その次がジャニーズWESTのコンサート。
そこには当たり前に自担はいなくて…メインのJr.にもいるはずの人がいなくて…相方を失ってでも強い眼差しで立ち続ける関西の大黒柱がいて平然とした顔でアイドルを続ける関西の新エースがそこにいた。
そして次が初めての東京。クリエAメンだった。

どう見てもハードすぎた。いろいろな形を1ヶ月のうちにいろいろ見すぎた。情緒は不安定どころではなかった。
松竹座にはいなかったのに当たり前のようにそこにいる紫耀さんがいて、自担に会えて嬉しいはずなのに何も喜べない自分がいて、お前らはなんでそこにいるの?何で流星が君たちの後ろで踊ってるの?何で流星が勝つんだWINを聞かないといけないの?なにこれ?と思い
そして収録では、なに1つ変わらない関係性の5人がいて…やっぱりここが好きだなって再確認して
そして残った関西メンバーが立ってるバックを見て、がんばれ悲しいだろうけど悔しいだろうけど立てがんばれ。どこからどうみても奮い立たせてるようにしか見えないじーこを見て辛くなるしかなかった。
そしてのクリエだった。
感情はおかしかった。正直自担が注目を浴びて仕事が増えることに何の喜びも持ってなかった。突然の分解はわたしにとって悲しみしかなかった。クリエは西畑大吾を見つけた時に終わった。もう無理だった。何でわたしの自担はこうなった?何でわたしはこれを見てる?何で西畑大吾はあそこからこれをまざまざと見せつけられてる?勝つんだWINは嫌いだった。簡単に言えばトラウマだ。6人に拒絶反応が生まれてしまっていた。あんな心が冷めたコンサートは初めてだった。つらさしかなかった。

まず初めに大切な人を失った4月2日の少クラ
大切な6人中心の曲だったハピラキを東京で歌ってるしょうれんを見て崩れ落ちて泣いた所から全ては始まってたのだと思う。運命は残酷だと思った。すべてのタイミングが良すぎた。とーまがいなくなったその日ズタズタにされた心に追い打ちをかけるかのように現実を突きつけられたかのようだった。意味がわからなかった。たぶん結局これが後にも先にも1番残酷だったのかもしれない。
それから6人はもう苦手だったのだと思う。一言でいえばトラウマ。拒絶がすごかった。
なに見ても辛さしかなかったように思える。
それでも夏頑張って私は自担にもう一度会いに行った。
でも何も変わらなかった。ステージと遠かったこともあるけど、物理的な話じゃなくて彼らは遠く感じた。See you againを歌ってるキンプリを見たときああもうむりだ…と悟った。

そこから東京の現場には行ってない。はっきりとした記憶はないけど少しずつKINGを見ることは減った。自分から見ることを避けた。写真集は買った。だがまだ開いていない。結局そういうことだ。KINGを好きになれなかった。海ちゃん嫌いじゃないのにどこかで好きになれない自分がいた。でもそれ以上にしょおさんが怖くなった。廉さんが変わっていった。少しもKINGを好きになれなかった。

ただずっとデビューしてほしかった。もう諦めていたから。東京に行ったなら早く夢を掴んで羽ばたいてほしかった。自担のデビューだけを1番に願っていた。でもデビューはこれを書いている今もしていない。2年よくわからないまま何も起きていない。バラバラにされてまでKINGになったのに何も起きなかった。そこも未だにバラバラにされたまでしなくてはいけなかったことなのかわからない。

ただわかることは2年が経った。あの時と立ち位置は全く変わった。ただ変わらないのはまだ同じデビューという切符を追いかける同志だということだ。
そして2017年5月ジャニーズJr.祭りとしてわたしの自担は大阪に帰ってきた。2年前と変わらないJr.のトップKINGとして。

正直この頃KINGを普通に見れるようになっていた。それは裏返しでいえば永瀬さんに特別な感情がなくなっていた。関西の方が大切になっていた。
友達に言って驚かれたことがある。
もし同じ日にKINGが大阪で関西が東京でコンサートをしたら私は迷いなく東京に飛ぶだろう。
時はここまで過ぎ、自分の感情はここまで進んでいた。

そして。ジャニーズ祭り。

新しく移り変わっていく歴史の中。大切なものは永遠に胸の中へ

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私の歩んできた想い

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