ありがとういつまでも

残したい何かを残したい
残すならあれからちょうど1年。
そして彼と私の自担の入所日である今日しかないと思い手を動かしています。
でも何を残せばいいのか。
言いたい書きたい思いがありすぎてどう手を動かせばいいのかわからないけど
これは未来に私がこんなことあったなこんな風に自分思ってたなと思い返す場所にしたいから
1年前の私の境遇を書くことにします。

正直に一言で言うと、辞めるなんて1ミリたりとも頭にはなかったです。
すごく子供だったと思います。あのことが起きてからいろんな方の文章などを読んだら皆さん夏の様子からいろんなことが積み重なりうすうす勘付いていたと。どの方も言ってます。
だけど私はいくら思い返してもそういう考え持ってなかったなって思います。この先以降は超子供なバカな意見考えです。自分でもバカだと思います。でもこれがあの時の私の変わることのない事実です。

始まりは何だったのでしょう。
私が思い当たるにまず雑誌に載らなくなったこと。びっくりしたことは覚えてます。え、なんでって思いました。ただレギュラー番組であるあほすき、まいジャニにいつもと変わらず出演してるのを見てそれで不安なんてなくなってました。レギュラーなんだから契約が終わるまで出ないといけない、逆に言っちゃえば次の契約がきたら終われるんだとかそんなの頭になかったです。毎週顔を見てアイドルとしてそこに存在していることを確認できるという環境が私を安心させてました。そのあと少クラ出演なくて夏舞台のバックにつくこともなくて。それに関しても受験期間、活動を控えてるんだなってそう捉えてました。
その後クリパが発表されて名前がなかった時ショックでした。すごくショックで6人揃ってる所が見たいのにってつらかったです。
でもつらかったけどそれが辞めてしまうのではないかという方には結びつかなかったです。
今思うと逆に途中から出演が決まったことそっちをもっとおかしく感じるべきだった。
でもあの時は受験少しは見通しついたのかなとかこの時期もう決まる人もいるもんねとかそういう考えしかなかった。そういう考えで自己解決してました。

クリパの手紙。今でもファンの心に残る手紙。
レポで読んだ時、感動してなんてこんな胸に響く文章が書けるんだ!と相手に気持ちを伝えるそれをお客さんにも伝える言葉の語彙力は天才的だなっと感心してただけでした。
わかっています。今読むともう4月に起こることを踏まえて書いているとしか考えられない。でもあの手紙交換はしょうれんとしかしていなかった。だから全て少しずつ道が変わり始めてるしょうれんへの後押しの言葉だと思っていたのです。あの時しょうれんの推され方はもう何かを物語り始めていた。私はそれに1番影響を受け葛藤をしている時期でした。あくまで自担だったんです。優しい彼なら強い意志で2人の背中を押す。それを信じていた私は少しの違和感も全部そっちの考えにすり替えていました。

ただ唯一どんな言い訳にも変えられない違和感は最後の春松竹初日。
涙を流したというレポ。
そして最後に歌われるしんみりとした新曲。
どう考えてもおかしいですよね。でもこの頃の記憶があまりないのですが、なんでだろねーどうしたんだろうーと言いながらそれ以上考えることはなかったように思います。

2015年春は千秋楽の前日、30日お友達に誘ってもらいお邪魔しました。
ここではただ一言。ほとんど記憶に残っておりません。今記憶に残っていないのではないのです。終わったその日もう記憶はほとんどありませんでした。
いつもはふわふわ楽しかったね〜ってテンション上がってるか余韻をかみしめているかなどこんな感じが多いのですが、
この日の私は無気力でした。なぜかはわからないです。帰ってSMAP×SMAPの運動会を見ながら楽しかったという感情もなければ何もする気がなくぼぉーっとしていました。
春松竹で覚えていることといえば
自担が花道でファンを見上げているあの情景とゲームコーナーの雰囲気、たこ焼き食べてる情景、、、主に以上です。
そしてもう1つ1番記憶に残っているのは最後の方。最後の曲まだ歌い始める前なのかもう歌い終わっている時なのか。ちょうど私の前にいた、なんとも言えない複雑な表情の中何かを噛み締めながら少し前を見上げてる彼の顔です。何か悲しさ寂しさなどを我慢しながらも今松竹のステージに立っているということをしっかりと噛み締めているように見受けられました。あれだけは本当にしっかり覚えています。時間的にいうと本当に2、3秒ぐらいの映像がそのまま私の頭に残っています。

もう一度言いますが私は辞めるなんてこれっぽっちも思っていませんでした。これからが大切な関西Jr. ここが上手く言葉にできなく情けない話ですが彼を知っている人なら誰でも彼がどんな人なのか言いたいこと分かってくれると思います。
彼ならこの世界でまだ戦ってくれると信じて仕方なかった。

でも本当はどこかで体が心が感じてるものがあったのかもしれないです。
私は現実では決して鈍感な方ではないです。人の思っていることや状況を判断する力は良い方だと思います。画面の枠の中のことを読み取る力は良いのか悪いのかそんなことはわかりません。
ただ現実のように画面の中の世界は分かりやすいものではないです。そこは半分夢でありウソの世界なのですから。
それはわかってますが、私の春松竹の様子が異常なことを見てももしかしたら体は感じ取っていたのかもしれない。彼の顔見てあぁそうなのかと体全体が察したのかもしれないです。

もうわかりません。
これ以上答えが出ることもないです。
次の日31日のレポ見て呆然として、
そして4月2日の日付が変わったすぐぐらいの頃。
彼の名前がジャニーズから消えたとその現実しか残っていませんでした。

これが私のあの頃の全て。
すごい長文になったけどこれで終わります。

金内柊真くん
ありがとういつまでも
2016.4.3