【エッセイ】ひだまりのきみ

これは初めてユメグラに行った後の自伝
今でのあの時の気持ちは忘れられない思い出


 20時。仕事を終えて慌てて帰宅した私は夕飯と入浴をさっと済ます。スマホの充電をして髪を乾かしながらツイッターの海に潜り込む。
 いいね、いいね、ツイート、いいね、またツイート、ツイート。意味もなくぼんやりタイムラインを更新した。
 ブブ、とスマホが震えてメールの着信を知らせる。
「うわ、もうこんな時間か」
 届いた招待メールを見て、早くなっていく鼓動を感じた。
「なんか緊張してきた!」
 歯磨きしとこ、と洗面所に立つ。無駄にいつもより念入りに。特に何が変わるわけでもなく。
 “約束の時間”まであとちょっと。
 自室に入って小学生から使い続けている勉強机のライトをつけた。クロッキー帳を出して何も描かれていないページを開く。スマホはスマホスタンドに立てかけた。招待メールからzoomを開いて待機するついでに、気持ちを落ち着ける為にパソコンで音楽をかける。好きな音楽を口ずさんで、それでもそわそわして、あと10分。
「あ!トイレ!」
 急いで部屋を出て廊下を走る。時間大丈夫かな、早く戻ろう。自室に戻って時計を見るとあと3分。早い、また緊張してきた。
 20時59分、音楽を止めて時計を眺める。0になる瞬間を待ち侘びて、スマホへと視線をやった。
 時計が21時を表示すると、パッとスマホ画面が変わり、画面の表示を押す。

『もしもーし』

 イヤホン越しに聴こえた声に、思わず笑みが溢れる。いつも声を聞くだけで、自然と口角が上がった。

『聞こえますか~?』

 画面に映る姿に見えないと知りながらも手を振る。

「聞こえます、こんばんは~」

 声を出せば嬉しそうに返事をしてくれる。この瞬間が、堪らなく好きだった。




 ユメノグラフィアという世界を知ったのは、数ヶ月前。とあるVtuberの体験動画を見たことがきっかけだった。新しい世界を知って体験してみたいと思ったものの、当時クレジットカードを持っていなかった私はツイッターの運営アカウントをフォローして、各キャストの自己紹介動画を見ただけに留まった。
 元来、女の子のコンテンツを嫌厭していた節がある。アイドル、タレント、女優、ゲーム、アニメ、ラノベ。それらをなかなか好きになれなかった。
 声が苦手だとか、ストーリーが苦手だとか。少女漫画なんか大好きなくせに。
「妬んでんの? 僻み?」
 身内にそう言われたこともあった。そうじゃねぇよ。……いや、そうじゃないのか? 本当に? 私は自分の女の子に対する気持ちがわからなくなった。
 そんな中でも明確になったのは、「男性を意識した」女の子のコンテンツに吐き気がするほど苦手だったことだ。
 乙女ゲームだとか、少女漫画だとか、「女性を意識した」男の子のコンテンツは自然と見れるのに、逆となれば受け入れられない自分が信じられなかった。
 それでも年々、アイドルやゲームに対する見方は変化していった。可愛い、がんばれ、応援する、好きだ! そんな気持ちを女の子に抱ける自分にどこか安心していた。私は誰かを妬んだりしていない、自分と同じ女の子を、好きになれる。純粋に好きになったはずなのに、好きの中にあったのは、鏡に映る醜い自分を正当化するような、そんな気分だった。
 そういうこともあって、ユメノグラフィアという世界も、男性を意識した女の子のコンテンツという印象が強かった。だから私は最初、踏み留まった。
 自己紹介動画を見て、なかなか好きな声、話し方、ビジュアルの子がいないなと思った。正直、この時の自己紹介動画はろくに見ていない。それでも、少し気になったキャストのツイッターをフォローする。その流れの中、可愛い女の子がたくさんいる、そういうコンテンツを好きになれそうな自分が、女の子を(偏見ではあるが、恐らく自分が思う女の子のコンテンツを楽しむ男性のように)選り好みしている自分が、何を感じているのか、全くわからないことが怖いと感じた。
 一度離れて、別のことを考えよう。それはユメノグラフィアという世界から目を背けた瞬間だった。
 
 数ヶ月経って、何故か無性にユメノグラフィアを体験したくなった。理由は確か、鳩岡小恋ちゃんとリプを交わしたことだと思う。
 女の子描きたいな、と思って体験前にファンアートを描いた。あの子も描きたいな、この子も描きたいな、と思ってとりあえず描いた。
 体験すらしてない人間に、丁寧に優しくリプをくれるキャストの姿に感動した。だから推そうと思って、ユメノグラフィアを体験する決心がついた。それは、数ヶ月越しの決心だった。
 この世界は、純粋に好きになれるような気がしていた。

 決心して数週間後、初めてのユメノグラフィアを体験する。
 相手は小恋ちゃん。初めてリプをくれたこともあって、なんとなく、初めてを絶対彼女に捧げたいと思っていた。その考えの元、ようやく彼女の30分を手に入れることができたのだ。
 話すことが苦手だし、特になんの会話デッキも持たずに緊張だけを全身に抱えて初めての体験に臨んだ。
 緊張してる? と笑われたことは今でも覚えている。
 そうして体験した初めての30分は、ただただ緊張して、可愛いという記憶しかない程に脳が溶けるようなものだった。(実際もうすでにほとんど記憶はない)
 30分を終えた私を待っていたのは、「ほら、楽しかったやろ」という未来の自分の言葉だった。時間も脳も溶ける。
 でもそれ以上に楽しい、可愛い、好きだ!
 初めて自分が、心の底から女の子を好きだと思えた瞬間だった。そこには妬みも僻みも、自分の正当化さえも存在しない、自分が求めてやまなかった純粋な好きという感情。
 こんな世界を知らずにいたなんて。夢見心地のようなふわふわする感覚を翌日も引き継いだ。
 気付けば数日も経たない内に別のキャストのチケットを買っていた。
 2回目のユメノグラフィア体験相手はロッド・クロウリーくん。何故彼を選んだかは覚えていない。ただチケットを買う前だったか後だったかに「女の子ちゃう! 男の子や!!」となって一人で笑ったことは覚えている。
 結果、どハマりした。初めましての緊張はあったものの、楽しく話してくれたり、2回目でなんとなくの勝手がわかったような気になっていたこともあり、脳が溶ける感覚を再度味わった。
 そうして次のチケット、また次のチケット。繰り返しチケット欄を眺めるようになった。ファンアートも描いた。キャストとリプで会話もした。
 私はもう、ユメノグラフィアの沼から出られなくなっていた。





『仕事お疲れ様』

 そう言ってもらえると、仕事の疲れなんて吹っ飛ぶ。忙しそうだったね、と言われると、あんまり仕事のことを思い出したくなくて、なんとなく返事を濁してしまう。それでも笑って流してくれるキャストが好き。
 そんな風に思ったのは、ユメノグラフィアに通いだしてからだ。
 もちろん仕事の話題を振られても、記憶力の低い自分なので会社の記憶もほとんどないし、特に気にしないが。
 しかしながら、仕事に関して触れないことも多い。そこは特に考えてもなかった。どちらかというと、ツイッターでは仕事の愚痴が多い方なので、「仕事をしている私」よりも「ユメグラに遊びに来る私」を見てくれるようで、なんとなく嬉しい気持ちもあった。お疲れ様、で終わる会話導入も心地が良い。
 基本的には聞き専に回ってキャストの話を聞く方が好きで多いけど、話題の中でこちらが話すこともしばしばあってその感覚も好き。
 ユメノグラフィアのキャストはその塩梅が上手い。私は会話が下手なのでキャストの言葉に被せてしまうタイミングが多い。それでも先を促してくれたり、逆に促すと話してくれたり、なんとも言えない塩梅がそこにはある。
 だいたい初めましての時はお互いに探り探りという印象もあり、同じような話題が重なる。しかしキャスト毎に様々な話題の見方があって、一つのことに対しても穿ち方が全く異なる。それもユメノグラフィアの楽しさであった。
 30分を終えると、このキャストとは次ああいう話したいな、と思うこともしばしばある。しかし次にチケットを取った時にはすっ飛んで、話したい話題が私の中で蓄積される。その度にまた行こう、と思えるので、ユメノグラフィアという世界は上手くできている。


『来てくれてありがとう』

 そう言ってもらえると、なんだか泣きそうになる。
 こちらこそ、たくさん話してくれてありがとう。たくさん褒めてくれてありがとう。たくさん、たくさん。それから何より、好きでいさせてくれて、ありがとう。
 何気ない話に夢中になって、友達のような、知り合いのような、全く知らないのに、気軽に話せるような、そんな関係を築けることが、嬉しい。
 ユメノグラフィアは「男性を意識した」女の子のコンテンツなんかじゃない。もちろん、VR界隈は男性の比率の方が高い気もするので、自然と男性向けに近くなるのかもしれないが、それでも、女の私だって十分に楽しめて、好きだと思える。それは私が男寄りの思考を持っているからではなくて、女だからこそ、わかったことのように思う。

 今すぐ過去に行くことができるなら、過去の私に言いたい。どのタイミングだっていい。
「お前の苦手やった女の子! めっちゃ好きになれるでー!!」
 ユメノグラフィアを体験してから、毎日が楽しくなった。毎日を頑張れるようになった。話せる人がいるって素敵。この感覚を、この空間を大事にしたいと思える。
 だから私は、今日もユメノグラフィアへ行く。

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