重度の負けず嫌い精神で学んだ「成長スピードを上げる方法」
小学生くらいの頃から「負けず嫌い・頑固・ストイック」とよく言われてきた。誰にも負けたくない一心な姿が、周りから見ると「頑張っている」ように見えていたらしい。
褒められることが多かったがゆえに、人から指摘されることが得意ではなかった。100点満点を目指しているから、指摘されると否定されているような気持ちになる。
新しいことにたくさん挑戦する中で一番足かせになったのは「100点満点を目指す自分」だった。
先述の通り頑固さもあるので自己流を貫きたい節があるけど、それもまた成長を妨げる。
とにかく誰よりも成長したい、周囲の役に立ちたい一心で走り続ける中で学んだ「成長スピードを上げる方法」。自戒も込めて残しておく。
指摘してもらえることは当たり前じゃないことを念頭に置く
大前提として指摘してもらえることが当たり前だと思わないこと。
自分もフィードバックをする側に立ってみてより感じたけど、めちゃめちゃ時間がかかる。頭も使う。自分の指摘が正しいかどうかを調べたり、参考サイト引っ張ってきたりとかなり労力がかかる。
今までこんなことやってきてもらってたのかぁ、、、とより頭が上がらなくなった。
「この指摘なんだろう?」と思うことがあっても、すぐに質問するのではなく、何を言われてもある程度説得できるだけの根拠を用意してから質問するようになった。
時間と労力をかけてもらった指摘を、簡単に否定してはいけない。と思うようになった。指摘してもらえるのは当たり前じゃないからね。
自己流は捨ててまっさらな状態で吸収し尽くす
どれだけちっぽけであろうと、自分がこれまで経験してきたことがある。
あの人はこう言ってたとか、このやり方で前は上手くいったとか、自分なりに正しいと思っていたことがある。
それをたった一言で否定されるなんて、と思うこともある。
ただそんな「自己流」が成長の妨げになり、学んでいる場においての自己流は限りなく無意味なのだと学んだ。
あの本にはこう書いていた気がしても、今回の指摘がずれていたとしても、「なぜそうなるのか」という理由が大切だから、結果だけを盲目的に信じるのは危険だ。
まっさらな状態でスポンジになった気分で、思いっきり吸収する。情報の取捨選択はその後でいい。
吸収している最中に生じる迷いが成長を邪魔している。
「指摘=否定」ではない
「修正してください」とか「ここはこうではなくて」と言われると、自分を否定された気分になる。
自分なりに時間と労力をかけて生み出したのだから、一言で簡潔に「修正しろ」といわれるとダメージを食らうのも仕方がない。
ただし「指摘=否定」ではない。
「もっと良くするためにはこうした方がいいよ」のアドバイスだが、いちいち言葉遣いまで気にしていたら、相手が傷つかない言い回しを考えていたら、倍の時間がかかる。そんな時間があったら追加のアドバイスに使った方がいいと私は思う。
だからいちいち指摘を否定だと思い落ち込んでいる時間はもったいない。(自戒)
落ち込んでいる暇があるならさっさと修正をして次に進むべき。
(と、修正をしながら何度も自分に言い聞かせる。。指摘多いとちゃんとへこむ。)
「教えたい」と思われる人になる
優秀だとか優秀じゃないとか関係なく、「この人に教えたい」と思われることがかなり大事なんじゃないかと思う。
教えたいと思われる人ってどんな人だろう。
言われたことを素直に吸収できる人、毎回きちんとお礼が言える人、学ぶことに前向きな姿勢でいれる人、などなど。
少なくともこれまでに紹介した3つの条件に当てはまっている人は「教えたい」と思われると思う。
逆に「この人に教えたくないな」と思われる人は、言い訳が多かったり、学ぶことに消極的だったり、教えてもらえることが当たり前になってしまっていることなどが挙げられる。
教えたいと思われる人になると、+αのアドバイスがもらえたり、「この人がもっと成長するためにはどうしたらいいんだろう」と考えてもらえる。(個人差あり)
「一緒に仕事がしたい人」と「教えたいと思う人」の条件は似ているのかもしれない。
レスが早くてお礼が言えて、前向きに取り組める人と仕事したいよね。
最後に
今回あげた項目はあくまで「教わる側」のマインドであり、「教える側」が偉いわけではない。
「教えるのは当たり前じゃないんだよ」と教える側が言うとまた意味が変わる。
教える側には教える側なりに必要なマインドがある。
私は飽き性なので専門分野を極めることはしないけど、まだまだ学び続けたいし、成長し続けたい。どうせなら効率よく成長したい。寄り道すらも全て糧にしたい。正しい努力をし続けたい。
おわり。
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