AIはアートをうみだせるか

時は2023年、AI技術に新たなブレイクスルーが訪れている。
もはや誰もが自由にAIを使える時代。特に自動生成、中でもイラストやグラフィック分野は凄まじい展開を遂げた。
ペンや絵の具を使う技術がなくても「可愛い女の子」「かっこいいロボット」「幻想的な風景」「セクシーなグラビアアイドル」など作成できるようになってきた。
使い方もさまざまで日常に本当にありそうな風景の中のワンシーンから、人間の想像力を超えたようなファンタジーなどなど。
これらはAIアートとまで称されるようになってきた。
がしかし、私はAIがアートを生み出せるようになったかというと懐疑的な立場である。私の考えを述べていこう。
そもそもアートとは?
私はアートというのは作品そのものを指す言葉ではないと思っている。作品(アーティファクト)と作者(アーティスト)の存在があって初めてアートと呼ぶのだと。
作品は絵画、立体造形、音楽、演技、文学色々あるが、モノとしてはっきり存在しているので理解しやすい。
作者はそれを生み出した人。以上。と言いたいところだがあまりに説明不足だ。作者とは歴史の中の文脈の一つであり世界の文脈の一つである。これまでの芸術史の流れに乗っかって、あるいは逆らって新たな価値を提供できた人が芸術家として名を残した。その芸術家の活動の記録が作品なのである。
そしてアートの中に占める重要度としては作者が圧倒的に高い。押入れからたまたま出てきた絵画が、レオナルドダビンチが描いたから、ピカソが描いたから価値が出てくるのであってその絵の良し悪しはさほど重要ではない。なんならもっと上手く描ける人は現代にはたくさんいる。
作品の完成度が作者の価値を高め、その作者が残した作品に価値や歴史的意味が付加されていくという関係だ。
となればAIはどうか。AIが生み出した作品は完成度も高く過去の芸術作品に並べてもおかしくない領域に達しているものもあるだろう。だがアートになるには肝心の作者がいない。裏返せば作者が登場した時アートになり得ると私は考える。
では本題。作者とは誰か。これはいくつかのパターンが想定される。そしてきっと誰かが定義するだろう。
想定されるパターン一つ目は「AIソフトを生み出した人」。早速だがこれはない。絵の具を、筆を、粘土を、彫刻刀を生み出した人をみなさんは知っているだろうか。そういうことだ。
二つ目のパターンは「AIを使った人」。これは納得できる解である。同じAIでもアイデアや使用法によって生成されるものが異なるのであれば、あるいは生成されたものの価値基準を持っているのであれば、生成されたものを公開する人を作者と定義していいだろう。おそらくこれが現実的だ。
安定した品質の作品をいくつか生み出して、公開者として名前を出すことでブランド化が図れるだろう。この時作品と作者の関係が生まれアートと言えるだろう。余談だがこの時、作品群はデジタル化されている可能性が高く、最大の問題としてコピー、盗用のリスクが高い。その対策としてNFTは必須と思われる。
そして最後のパターンであるが「AIそのものが作者」という場合。これは現時点では不十分だが、今後十分に起こりうる。作品の生成技術、作品の完成度の価値判断も可能になると人間の入る余地はいよいよなくなってくる。個別化されたAIソフトが独自の趣向、傾向をもって作品を生み出すようになれば「作者」としてブランド化される。
このパターンを想像すると前述のようなNFTは若干釣り合わない気がしてくる。AIが作品を作る場合にはこれまでかかっていた製作費、時間、労力が大幅に削減され作品は際限なく生まれる。その場合作品そのものの価値は下がり、作品にラベリングする意味は薄い。このような状況ではAIそのものに特許を与えて使用料が発生するシステムが妥当だろう。
なんてことを考えたが…ではその作品を生み出せるAI自体が作品であり、AIを生み出した人が真の作者なのでは?とか考え出すともうわけがわからなくなってくる。
とまあ、色々考えたが結論!
AIがアートとなるには作品とそれを生み出した作者が必要であること、その作者がまだ明確でないためアートとなるのはこれからの話。
初音ミクが生まれてしばらくして米津玄師が登場したみたいに。(パターン2)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?