2020/08/28

 水よう日から考えている(というかもっと前からずっと自分のなかでテーマではあるのかもしれない)まとまらないなんやかやの話。

 もなりちゃんの配信でのこと。冒頭で、久しぶりに開催されたインストアライブの話をしていて、行っていないけどふうむ楽しさがむちゃくちゃ伝わってくるなあと思いながら聞いていて。そうしたら、「衣装ばかり見てました」みたいな、ニュアンスだけど、ライブの感想としてそういうコメントがあって、それがわりと前から否定的な感情をそのまま含んだ内容のツイートをたまにしていた方からの投稿だったのやけど。もなりちゃんはそのコメントに対して「え、なにか変でしたか?」って返していたのだよね。なんか、そう、そうか〜と、思ってしまって、わたし。冗談っぽく笑ってみせるかんじで、何でもない反応であろうよと流せばそれまでの、ちいさな場面ではあったし、そのコメントだけを見たときは、わたしは悪い意味を読み取らなかったけれど、でも、もなりちゃんにとっては褒められているわけではなくて変だったのかもしれないって、そう聞こえるのやなあと、思って。

 ひとつがふたつになるところが、言葉のすごさとしてあるねとずっと思っていて、発言したときの最初のひとつと、それを受け取った誰かのなかでもうひとつになって、ふたつ。だから、良くも悪くも、自分が込めた意味ではない方向を向くこともある。このコメントされたひとつが、本当に変だと思って書かれたのかはわからないけれど(というかそうではないと信じたいけど)、少なくとももなりちゃんが受け取ったひとつはそうだった。だって、ずっとそういうふうに言われてきた方からのコメントなのやし、納得というか、そんな納得したくないけれど、それはそうだよなあと思っちゃったな。発言したそのときだけのことではないのだなあっていうのも思ったな。自分の言葉が相手のなかで残っていれば、その意味はつぎの言葉にも繋がってしまうのでした、良くも悪くも。

 このことを考えている中でらう日も読んだりして。書いてある「言うべきこと」「言うべきではないこと」のことをずっと考えている。あとふつうに届いてしまうやばさのことも。そういうのがない世界は自分で作るしかないなと思っているから見ないことにしているのやけどね、だから自分のなかで考えていくしかできないな。

 心のなかで思うことのそれ自体は自分でも選べなくて予想外なときあるしほかの人がどうこう言うことではないけれど、感じたことを発言すると決めたなら、そのときの言葉は選べると思っていて。選んだ言葉が言うべきことであるのかを考えているあいだにいろいろなことを書き逃してしまったよ。言うべきではないことはもうずっと変わらずあるけれど、言うべきことなんてひとつもない気がするし、書くのが怖くなったっていうのが近いのかもな、ここにはめっちゃ書けるけど(笑)めめあべラジオ最高だった。だいすき。これだけのことを、ツイッターには書けなくなってしまって、困ったなあん。

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