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どんな親であるべきか

産まれてから赤子を安全に生かすことに徹してきた訳だけど、
ぼちぼちボーヤにとってどんな親であるべきか、について考えたい。

両親には何不自由なく育ててもらったことに私自身はもちろん感謝をしているわけだけど
小さい頃の嫌な思い出や進路の決め方に後悔がある。

自分の「こうして欲しかった」を軸に、尊敬する方々の生き方のエッセンスを加えて考えてみた。

①自分の人生を生きる

日本の母たち、子のマネージャーになりがち説。
子の帰る時間に合わせてご飯を作り、
子のお風呂を催促して自分は最後に入り風呂掃除をし、
子と夫の予定を合間をかいくぐって自分の予定をスケジューリング。

特に日本じゃまるでそれが母に課された使命のよう。

でも、自分の母に「あなたのために人生を捧げてきた」と言われて嬉しい人なんていないのでは。
「いや、そんなの頼んでないよ!自分の好きなことやりなよ!」と思う。

子の人生と自分の人生は別物。
母という肩書が一つ増えただけ。
私という軸は見失わないようにせねば。

②笑顔ベースで過ごす

義母がいつもニコニコでとっても気持ちが良いの方なのです。
おはようからおやすみまでニコニコ。
いつでも話しかけやすいし、悩みも打ち明けやすい。
なによりこちらまで気持ちよく過ごせちゃう。

実際は忙しくて理想通りにはいかないのだろうけど…ベースは笑顔でいたいなと思います。
自分の幼少期を思い出すと母が怒っている場面が多く(もちろん私が何かをしたから怒っているのだが)、
私が死んだ後、ボーヤの記憶の中の私は笑顔でいられますように。


③自分の頭で考る癖をつける


ggrksという言葉がかつて流行ったようにググればなんでも出てくる時代。
いつしか自分の頭で考えるのが苦手になってしまいました。(反省)

アラサーの私ですらそんな状況で、
デジタルネイティブのボーヤの時代はそんな状況にさらに拍車がかかるはず。

【答えを知る】以上に、プロセスを大切にしてほしい。
色んな人の考え方(両親を含む)を聞いて知って、その上で自分の責任で選択できるようになってほしい。
私はついつい、賛成できないなと思いつつも
反論するのが面倒で従ってしまうところがある。
でも責任を取るのは最終的には自分だから
納得した上で自分で選択することが身につくと良いなと思う。

そのためにできること:
①どう思う?どうかな?の問いかけをする
②その答えが世間一般のものとは違っていても、なぜそう思うのかを聞いて否定しない。
別の考え方もあるよね、と提示する。

④より多くの選択肢を提示する

自分で選択することは大切だけど、ボーヤの知らない選択肢もこの世にはあるのだと教えてあげた上で選択してほしい。

習い事や進路、部活において自由に選ばせてもらってきたけど
子どもの狭い世界の中からしか選択する術がなかった。
習い事なんて大体「Aちゃんがやってるから私もやりたい」「テレビで見て格好良かったから私もやりたい」とかそんな程度の選び方だった。

意見を押し付けるのとは別に、こんな世界もあるんだよと提示した上で選ばせてあげたいなと思う。

私特に音楽や芸術の道には明るくないので
意識的にその道の世界も見せてあげたい。
興味がないならそれでよし。私のせいでそんな世界知らなかった!とならないように。

※思いつき次第、都度追加予定※

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