『予習』という文化

皆さん、お久しぶりです。お元気してましたか。私は元気です。
さて、この『予習』という言葉、反吐が出るほど嫌い、というわけではないけれどまあまあ苦手な言葉である。
ここで言う『予習』は「ライブのために音楽を聴きこむこと」とさせてもらう。
これがなんというか。なんというか、うーん、苦手。
好きな曲って日常生活をただ適当に過ごしているだけでも、勝手に耳にするものだと思っているので、無理に時間を作ってまで曲を聞こうとする『予習』という行為はまるで別段好きでもない曲をちょっと無理して聞いているように感じてしまう。
もちろんアーティストのライブを最大限楽しむための行為だから、そんなの全然苦じゃないよ!という人もいるんだろうけど、じゃあ普段から聞けばいいじゃないか!そんなこと言ったってしょうがないじゃないか!
そもそもアーティストのライブを行くのに音楽を聴きこむ必要ってあるだろうかと思う。
知らない曲が飛び出してきても、その曲のリズムに合わせて身体を揺らせばいいし、知ってる曲が飛び出てきたならその倍楽しみながら身体を動かせばよかろう。
何をそこまで「全曲知っていること」にこだわってしまうのだろうか。全曲知ってたらそりゃあ余すことなく、チケット代とか交通費、その日の飯代にかけた諸々の何千円、何万円をペイできる感じもするだろう。いやはや、でも、でも、それって全曲知ってなくてもいいじゃんね、とやっぱり思ってしまう。
知らない曲、まだ気づけてない魅力に出会うためのチケット代にしたらいいじゃないか!と思ってしまう。
全曲知っていることは勿論かっこいい、知識はファンであることを示すために有用であると思っているので、それは分かる。
ただ、それをじゃあライブ前に古い曲も聞いてみよう!はちょっと分からないという話。
自分はきっとこれからもこの『予習』という文化を分からないなあと思いながら日々を過ごしていくでしょう。
来月も再来月もライブ!楽しく健やかに生きましょうね。

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