服欲しい。

自慢話です。

恥の多い二十余年を送ってきましたが、その中でもこれのおかげで自分を自分たらしめることができてるなと思うことがある。それは「何でもかんでも見る/聞く/読む」をしてきたことだ。
よくもまあ「膨大な知識があればいい」と歌ったもんで。そういう風になんでもかんでも見たりしていたおかげで雑談で使える知識が山ほど増えたし、膨大な知識が身についたように思う。

知識を詰め込むことは滅茶苦茶に楽しい。この世の中、絶対的に知らないより知っている方が面白くなるようにできている。持っている知識一つでその話が笑えるようになったり、もう一段階面白くできるための一撃にできるかもしれない。覚えているだけでエンタメを作ることができる道具なんてものは知識以外にない。

自分がよく言う「『知らない』ということが極端に少ない」というのはこれに起因するものだったりもする。我が家は朝起きて寝る直前までテレビがずっと流れている家だった。おかげで別に知らないでも過ごせるものが耳にじゃんじゃか入ってくる。そのおかげかせいか、いろんなものに興味を持つ。小学四年生までインターネット回線が通っていなかったので調べる術は本や辞書、諸先輩方の話のみだったので、色々読んだり聞いたりした。
インターネットが入ってきてからはもうズブズブだった。自分の興味のあることをじゃんじゃか掘っていった。その先で知らないまた別の面白いことに出会ってまた調べて…みたいなことばっかりしていた。

あと、家にCD、DVD、漫画、小説、エトセトラ。結構何でもあった。おかげで暇をつぶすのに事欠かない生活だった。今好きだと言っているものだとか、好きになりやすい傾向があるものはこの暇つぶしのおかげで培われたものだ。とにかくモノを蓄える、捨てられない親に感謝である。

そんなこんなでいろんなものに雑多に興味を持って、適当になんでも触ってみた結果、人よりも少しだけ知っていることが多くなった。おかげさまで最初に書いたみたいに引き出しの数が増えたので、話を割とどこからでも広げられている。そんな気がしている。

ただなんにでも興味が持てるとは言ったモノの「知っている」という状態以上好きになることは滅多にない。多分それは心のエネルギーがめっちゃ少ないから。今好きなものを蹴飛ばしてまで新しい好きなものを摂取するだけのパワーが足りてないから。
自分には今愛しているものだけで一旦手一杯なので。

これからも浅ーーーーーーーーーく広ーーーーーーーーーーくたまに興味あることを深く掘っていけるように頑張っていこうと思います。何を?

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