NHK土曜ドラマと今ここにある大学の危機について

 2021年4月~5月にかけて放映されたNHK土曜ドラマ「今ここにある危機と僕の好感度について」が、令和3年度(第76回)文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門大賞受賞を受賞されたとのこと。関係者のみなさん、おめでとうございます。

 研究不正調査考証という形で、ドラマのはじめの2話に協力させていただきました。全5話のうち、3話目が終わったタイミングで、朝日新聞社の「論座」に寄稿させていただきました。後半部が会員限定の記事となっていますが、一定期間が経過し、個人のページへの転載について了承いただいていますので、大賞受賞を記念して、記事全文を転載します。

NHK土曜ドラマと今ここにある大学の危機について

「正論、ダメ、絶対!」
「極力意味のあることは言わない。なんか言ってるけどなにも言ってないってのが一番いいんです」

 そんなあられもない言葉を相次いで口にする名門国立大学の広報マンたち。現在放映中のNHK土曜ドラマ「今ここにある危機とぼくの好感度について」の展開は、ブラックコメディを謳うだけあり、なかなかに刺激的である。

 松坂桃李演じる落ち目のイケメン・アナウンサー神崎真(まこと)は、意味のあることを言わないことが買われてかつての恩師・三芳総長(松重豊)にスカウトされ、帝都大学の広報課職員へと転職する。その帝都大学では、スター教授の研究不正疑惑や、講演会ゲストのネット炎上といったトラブルが次々と巻き起こる。大学の理事たちは、大学人としての誇りも責任感もどこへやら、恥ずかしげもなく疑惑の隠ぺいやイベントの中止を企てる。そこで広報職員である神崎に期待されたのが、そのような理事たちの姑息な企てを成功させることだった。

 ストーリーはまったくのフィクションで、登場人物たちもかなり個性的だし、いろいろありえないことばかりだ。それにもかかわらず、妙にリアルである。このリアルさはいったい何なのだろうか。そんなことを考えてしまう。

 「今ここにある危機」が大学を舞台に描きながらも、現代社会や政治の問題に切り込んだブラックコメディであることは、登場人物たちのセリフや振る舞いからも容易に察することができる。SNSでの反応を見ていても、多くの視聴者は「今ここにある危機」を、現代社会を風刺したドラマとして観ている様子である。

 とはいえ、大学関係者としては、どうしても現実の大学の問題と重ね合わせて観てしまう。今回、研究不正調査考証というかたちでドラマ制作に協力させていただいたのだが、その立場を差し置いても、ドラマが描く大学にリアリティーがあると感じてしまう。それだけでなく、舞台が大学であることには必然性があるのではないかとも思ってしまう。

「今ここにある危機」が描きだす大学の窮状

 ドラマの中の帝都大学が置かれた環境は、かなりシビアである。

 国からの安定的な財源である運営費交付金が削減され、大学は金策に四苦八苦している。好感度だけは高い神崎に広報へのお声がかかったのも、国や企業からの資金をめぐる争奪戦を勝ち抜くためだった。とはいえ、そんな神崎の身分も任期5年の有期雇用だ。

 また、研究不正を告発した木嶋みのり(鈴木杏)も有期雇用のポスドク研究員で、5年のプロジェクトが終わるとともに雇い止めにされる定めにあった。第1話では理事たちがその後のポストと引き換えに不正の隠ぺいを持ちかけたが、それも彼女の不安定な立場に乗じてのことだ。その境遇を他人事とは思えなかった若手研究者も少なくなかったのではないか。

 大学関係者の思いを代弁するかのようなセリフもしばしば登場する。第3話では三芳総長の盟友の水田理事(古舘寛治)が神崎に、基礎研究の重要性を説く。

 「この世界というのは人間の想像をはるかに超えて複雑であり、将来どの研究が人間の役に立ったり危機を救うかなんて絶対予測でけへん。けど国も企業もすぐ金になるような研究を大学にさせたがるし、いつ役に立つかわからんような研究は無駄無駄言われて、どんどん消えていく」

 その言葉に、多くの大学関係者がわが意を得たりと感じたことだろう。昨今の大学では、イノベーションへの貢献や、短期的に成果をあげることばかりが重視され、長期的なスパンから腰をおちつけて研究に取り組むことがむずかしくなっている。しかし、そのような研究こそが、大学の存在意義ではないのか。そのようなメッセージが多くの視聴者に共感をもって受け止められていればと思う。

「言論の自由」を守った総長の決断

 しかし、「今ここにある危機」のおもしろさは、大学の置かれている窮状を描くにとどまらないところだ。

 帝都大学に危機をもたらしているのは、姑息な手段に訴える理事たちや国や企業だけではない。ネット炎上したことで中止が決まった講演に対し、三芳総長が総長としての権限を行使したことで中止は撤回され、言論の自由が守られた。ところが、神崎の友人の若手准教授・三木谷(岩井勇気)の口からは、三芳総長のそれ自体は望ましい決断が総長の独裁体制を誕生させたこと、それが大学にいっそうの危機をもたらしうることが語られたのだ。この展開に、私は5年ほど前のある出来事を思い出した。

 2016年、当時行政改革担当大臣だった河野太郎氏が、SNS上で国の研究費の使い方について研究者に意見を求めた。各大学が独自に設定したルール(ローカルルール)のせいで研究費の合理的な利用が妨げられ、研究の効率を損なっているという研究現場からの訴えを受けたものだった。

 河野氏の呼びかけに多くの研究者が自大学の独自ルールを報告した。河野氏は問題解決を文部科学省等に指示し、それが不合理で理不尽なシステムの改善につながった。その様子を眺めながら、SNSを活用して現場の声に耳を傾け、トップダウンでスピーディーな問題解決を図る手腕はさすがだと感心させられた。私自身も恩恵をこうむった。しかし一方で、現場での意思決定プロセスを飛ばして大臣に直接訴えかけることで問題解決を図るというやり方には、一抹の不安を覚えた。べつにその手段が安易だったとも、間違いだったともいう気はない。理不尽なシステムを変えていくことは重要である。そのために各所に働きかけていくことも必要だろう。しかし、このようなやり方が大学関係者たちに拍手喝采で受け止められるような状況は、本当に望ましいのだろうかとも感じた。

 ドラマに戻れば、三芳総長が総長としての権限を行使したことで、言論の自由が守られたのはきわめて重要なことだ。しかし、それが本当によいことだったのか。講演会ゲストのネット炎上に端を発したトラブルが、総長の独断により望ましい形で解決したことが問いかけるもの。学長のリーダーシップが重視される現在、それは一人の大学人として無視できない問題だと、私自身は受け止めている。

「ワンダーウォール」と通底するメッセージ

 「今ここにある危機」の脚本家、渡辺あやが大学に託す想いは、かなりのものではないか。そう感じたのは、今回のドラマを機に彼女の手がけた「京都発地域ドラマ ワンダーウォール」を見たこともある。2018年にNHKで放映されて結構な反響を呼び、劇場版も公開された作品だ。

 「ワンダーウォール」の舞台は、京都の学生寮である。学生寮といっても、いまどきのこぎれいな学生寮ではない。100年以上の歴史をもつ自治寮だ。大学関係者もあまり関心を寄せないであろう、昔ながらの学生寮である。老朽化を理由に、大学側から建替えという名の廃寮を迫られている。ドラマでは、寮生たちと大学側の交渉の様子、寮生たちの日常、そして彼らが寮に託すさまざまな想いが描かれる。

 渡辺はあるインタビューで、学生寮への取材を通して「こんなに健全な場所はほかにない」と感じるようになったと語っている。自治寮での話し合いのなかで、寮生たちは「たとえそれがどんなに極端な意見であったとしても、彼らは互いの意見を排除したりはしない。それどころか『それこそが自分たちがいま居る場所の価値である』と感じている」という。

 「ワンダーウォール」では、多様性が受け入れられること、多様な意見を排除せずに真摯に対話を続けることの価値が描かれている。それこそ大学が、そして社会がなんとしても守るべきものではないか。

 そのような大学への強い思いは、「今ここにある危機」にも通底している。いったんは講演中止を宣告されたネットジャーナリストは、会見で、「多様な視点から議論を尽くせる環境を守ること」が大学の重要な責務だと語った。それは渡辺の本心でもあるのだろう。現代の大学は大学のあるべき姿を見失っているのではないか。「今ここにある危機」には、渡辺のそのような大学への危惧が描かれているようにも感じる。

 当初はたいした疑問を抱くこともなく、理事たちの無茶な要求に忠実にこたえようとしていた神崎は、木嶋みのりとの出会いや、講演会中止の危機を通して、少しばかり成長しつつある。また、それまで存在感のなかった三芳総長も、言論の危機という危機的状況をまえに思い切った決断を下した。学問の府としての大学はどうあるべきなのか。それがドラマのもう一つのテーマであるらしいことが、ようやく見えてきたところだ。

 物語も残り2話である。渡辺が「今ここにある危機」に託したメッセージに思いを巡らせながら見ていきたい。
(「論座」2021年5月21日掲載)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?