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エレミヤ8:23

「わたしの目が涙の源となればよいのに。そうすれば、昼も夜もわたしは泣こう」エレミヤ書8章23節

主に18-23節にかけて、彼の嘆きのことばが語られている。エレミヤは、罪を犯し続ける南ユダの人々のことを嘆いていた。しかし、彼らをただ他人ごとのように非難せずに、同じ南ユダの国民である自分自身のこととして共に苦しんだ。涙するエレミヤの姿。それは神様の側に立つ預言者としてふさわしい在り方なのだ。涙を流してたたずむ姿においても、エレミヤは神様の御心を表している。この箇所は敵のもたらす危機災難の中で神の審判は成し遂げられるということを示唆している。聖書にある預言者とは神の担い手、大切な存在だ。また、同時に一人の人として一般の民の中で生きていた。その姿は神様の子でありながら、一人の弱い人間として涙を流されたイエス・キリストの姿を同時にイメージさせられる。イエスは私たちと同じように痛みや悲しみを十字架の上で受けられた。そして、共に悲しみ涙してくださるお方だ。それは今も変わることがない。なぜなら、私たちの涙のもとは主の瞳にあるからだ。エレミヤは、神様のために私たち人間として共に苦しむということを通して、来るべき救い主イエス様を指し示し、証言している。


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