諦観を超えて
22日目、5時間30分目。
昼間も読んだんだけど、15分計り始めてからもう一回読んでる。
昨日?か一昨日?の続きになっちゃうけど、また振り返って書こう。
記事にもあるが2015年くらい、北海道で一斉にローカルメディアが勃興した。
今ほど各地の状況はわからなくて、それでも「あの辺にああいう人いるなー」というのが各地のアンテナのように見えた。
他のみんなはどうかわからないけど、おれは頼もしかった。会いに行った人もいるし、会いにきてくれた人もいる。
そこから今に繋がっているし、奇しくもドット道東として活動を共にしていないにも関わらず、今、改めてガイドブックを一緒に作ってくれてる人もいる。
誰かわからない1記事の100PVよりも、とりあえずつけてもらえるfacebookの30いいねよりも、その後に1人の地域のキープレイヤーと連絡が取れること、そういう人たちと一緒に何かできるようになることのほうが、ずっとずっと意味があった。
そうだなーそうだったなーと、この辺は思い出しただけでもちょっと吐き気した笑 悲しすぎる思い出。
意味を見いだしたというか、むしろ当時はそこにすがるしかなかったのかもしれないと今は思う。
一見、価値のないことなんだけども意味を信じ後付けする、諦めない。ただそれだけを続けてきた気がするな。
ただ、みんな共通するのはたぶん絶望を味わっているということだと思う。なりたかった姿があったこと、変えられないとわかったこと、なれなかったこと。そんな諦観や悲しみを乗り越えてるからこそ、趣味趣向バックボーンも違うのに通じ合えているのかもしれない。
久しぶりに今日時間切れだーまとまらんかった 笑
今日はかずきゅんの田舎の未来
ここから先は
0字
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?