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他者への想像力

74日目、 18時間30分目。

はい、やはり全然書けなかった数日。やっと北見に戻ってこれた。今年中に24時間を目標としているので、本当サボれない。キツイ、寝たい。

常識は他者への想像力や配慮を標準化するためにあるのではないかという話。
「常識では〜」「普通は〜」これで片付けることで多くのことは考えなくて済む。シンプルになる。およそそれを恥ずない限り咎められない。その判断材料を増やしていけば間違えることはないだろう。考えなくて済むのだから、一見するとコスパもいいのかもしれない。

でも本当に大事なことは他者への想像力と配慮なのじゃないかと思う。それを最低限満たすために、多くの場合外れることのない常識や普通が存在している。
いちいちカスタマイズした他者への想像力や配慮を持つことはとても大変だ。面倒だ。
一挙手一投足、顔色、趣味趣向、そんなことを思い浮かべながら目の前の怒っていることとすり合わせて何が最適か判断していかなきゃいけない。もちろん間違える確率も高くなる。

だけど、最大公約数じゃないオリジナルな答えを求めようとすることで、そのやりとりにその場でしか発生しえなかった感動が生まれる可能性がある。そんな瞬間をどれだけつくれるかが、腕の見せどころなのではないだろうか。
だって、どの瞬間も俺とみんなじゃなく、俺とあなたの集合や積み重ねでしかないのだから。

他者への想像を諦めないでいこう〜

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