リアルにやる
73日目、 18時間15分目。
来週からたぶん全然書けないから書きためるぞ。でもそういう時こそあまり書きたいこともない。そういうときは無理やりに広げてみます。
さっき蝦夷丸から舐達磨めっちゃ怖くて聞けなかったんだけど、聞いてみたらめちゃカッコ良かったってメッセージがきた。
たしかに怖い。アナーキーも怖い、一般的には。
ただ何が怖いのか分析した結果、「リアルすぎて、自分のリアルじゃない部分を見抜かれるのが怖いのかもしれないと思いました」と蝦夷丸が言っていた。
それはたしかにそうなのかもしれない。言いたいことを言う、やりたいことをやる、気の合う奴とだけつるむ。
これらはしがらみや常識の中でどれだけ削ぎ落とされるかの減点方式なのかもしれない。スコアが低い場合は大衆に紛れる、それは多くの人が人生の過程で仕方なく削らなくちゃいけないものだからだ。
「スコアが減らない=我慢をしてない状態」だからこそ尖った存在でいれる。もちろんそれは迎合しないということで、はみ出すと言うことでもある。頭ひとつ抜け出している状態を想像すると風当たりは強いし、障害物を避けることもできない、生きづらさとはそういうことだ。大衆に紛れればそんな苦労は少しは和らぐ。(雷のような局地的なリスクはあるけども)
自分は我慢して削ってきたこと、それを削らずに体現している。その状態に
近いということがリアルということなのかもしれない。
削らなきゃいけないところ、譲らなきゃいけないこと、我慢しなきゃいけないこと、でもその中で譲れないことだけは守っていきたい。
無から広げてみたけど、今回のはほぼ蝦夷丸の思考の成果なので蝦夷丸の15分も読んでね
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