見出し画像

15分で考えない道東の未来

101日目、 25時間15分目。

勝手がわからない。昨年一年かけて毎日15分だけ手を止めて考えて書くということを100日間続けていた。
いま考えても誰のなんのためだったのかわからない。でも我ながら結構すごい。

約半年後、こうしてもう一度向き合っているわけだが、昨年続けていた時より明らかに進まない。なんのためになったかはわからないんだけど、明らかに何かのレベルはアップしていた模様。

さて、そんなことは置いておいて、いま実はあるプロジェクトを仕込んでいる。
ウンウン唸りながらもデスクで、散歩で、車で、サウナで、ひたすら考えているわけだけども、こういうことは得てして「え、マジ天才じゃね?」って思いつきと「いやいや、そんなんできるわけないじゃん...」が交互に訪れる。

光明が見えるのも一瞬で、書き留めておいたメモも次の日に見るとすでに陳腐化していたりする。焦りと不安。希望はほぼ、ない。
というか見えないという方が正解で、あるはずと信じて突き進むしかない。毎度のことながらおっかないですね。
今日はまたスタバでウンウン唸りながら居座っていたわけだけども、ふとこのマガジンのことを思い出した。

「あれ、そういえばおれ15分で考える道東の未来っての書いてなかったっけ・・・?」

奇しくもいま頭を巡らせていることも、未来へのアプローチだ。
別に狙ったわけでもなければ、去年から仕込んでいたわけでもなく闇雲に続けていただけだった。

何かを始めようとするときはいつもそう。コンフォートゾーンを抜けるということは痛みを伴う。やらなければその分慣れ親しんだことに没頭できる。先は見えないし、やりたくないとすら思う。(今も結構思ってる)
だけど、抜けた先には見たことない景色が広がっているのを知っている。
変えないことは、安心を生み出すのかもしてないけども、安定は約束されていない。絶えず起こる変化と環境と向き合うために、越境を続けているんだと思う。そのために今はもう少し潜ろう。先は長い。

「15分で考えない道東の未来」について、今月下旬に新しい発表があります。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?