田舎の弱小中学陸上部が市内一位を取った話 ー③キャプテンT編ー

どうも、ナカです。

早速、前報からの続きを述べて参りましょう!

田舎の弱小中学陸上部が市内一位を取った話 ー②背景編ー|nkm @nkmshr2 #note https://note.com/nkmshr/n/n09b39b7c2f82

ナカ少年とキャプテンTとの出会いは、中学校入学と同時であった。

①導入編でも記載したが、ナカ少年が小学生の時には、町内に3つの小学校があった。一方で中学校は一つしかないため、ほぼ全員がそこに集まってくる。(中学受験者を除くが、田舎だったので、「わざわざ受験なんてしなくてもねぇ。中学校から町を出るなんて、故郷が嫌いなのかしら」という排他的空気が強烈に支配していた。)

その3つの小学校が、それぞれ1学年当たり30人+6人+4人=中学校は1学年40人、みたいな割合で合体し、ナカ少年は30人の小学校、キャプテンTは6人の小学校出身だった。

キャプテンTの人となりをどう表現するか悩ましいところだが、

【外見】ヒクソン・グレイシーを若干東洋人に寄せてみた風
【性格】運動をしている時は松岡修造。授業中など、まぁそれ以外は普通

というスペックだ。

『ふむふむ、ヒクソン・グレイシーの外見で、松岡修造並みの熱量で陸上やってたのか。なーんだ、ただのバケモンじゃねーか』
と思った、ソコのアナタ。
正解だ。

後に大人になって、実際に柔術を習い始めることになるグレイシー・キャプテンTも、中学校入学&陸上部入部の後には、短距離走グループではなく、ナカ少年と同じ長距離走グループを選択した。
そして、なんなら、入学時点ではナカ少年の方が、足は速かった。

入部してすぐの5月には毎年、新人の記録大会ということで、M市内のまだまだ青臭い中学1年生が一同に会し、短距離走が得意な人は100m走、長距離走側は1500m走に出ていた。
キャプテンTは、記録6分00秒くらい。ナカ少年は5分50秒くらいで、全体でも平均よりは少し速いくらいで、1学年上のヤンチャな先輩達からも
「ナカ、結構やるなー!」
と、ややチヤホヤされるくらいだった。
キャプテンTは、体型的にも、ややぽっちゃりかな?という出で立ちだったように思う。

ただ、キャプテンTは、人に隠れたところで、継続した努力が出来る人間であった。

部活での練習は、②背景編の通り、練習と呼べるものでもないのだが、そこに向かって
『先輩!こんな練習意味無いんで、ちゃんとやりましょうよ!』
とか言うと
「なんだアイツ、生意気だな。」
となる空気がプンプンであったため、キャプテンTもなんとなく目立たず周りに合わせていた。

その後、小さな田舎町なので、
『帰宅後、キャプテンTが一人でめちゃくちゃ走っているらしい』
との目撃証言が、ばあちゃんネットワークから届く。

証言の有った現場に赴くと、そこは「ぐはぁ!」と思うような登り坂。自転車は立ち漕ぎ必至だし、今のナカ中年では、立ち漕ぎ完走でも不可能なほどの急勾配だった。
全くどうでも良いが、その急勾配エリアを少し越えたところには、ボクらの仲間内では非常に有名だったエロ本投棄場所があった。なぜか草が覆い茂る道端に、地域の人が片付けても片付けてもエロ本が存在するエリアが有ったのだ。
そんなボーナスステージが近くにあったからキャプテンTは、そこで練習していた・・・なんて、誰も思ってはいない。

そんなこんなで、中学2年生になる頃には、キャプテンT自身、相当実力を上げていた。さらに、その隠れた努力に感化されて、同級生のボクらも"なんか頑張ってあんな風に速く走れるようになりたいな"という空気が伝播し始めていた。

相変わらず、通常の部活の練習メニューはお遊びだったが、ボクらの学年は、帰宅後に少しだけ走ってみたり、ダンベルでの筋トレをしてみたり、足に2kgの重りを装着して登下校してみたりと、徐々に隠れ松岡修造は増殖していった。

そしてついに、中学2年生の秋、ヤンチャな先輩たちは部活を引退し、グレイシー修造ことキャプテンTの天下を迎える。

彼はそこで、1年半あたため続けてきた練習メニューを惜しげもなく披露し、ナカ少年たちの体脂肪率を奪っていくことになる・・。

④トレーニング編に続く!

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