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throwcurve 『DEEP CUT IN THE DUGOUT 2006-2011』 セルフライナーノーツ(前編)

この記事は本来、順番的にはどう考えても一番最後に投稿すべきなのだが、今回サブスク配信した作品の中で最も補足説明がないとやばかろうと考え、まずはここから解説していこうと思う。一応新作でもあるし。

はじめに断っておくが収録全27曲について全て書いていく。
以下、めちゃくちゃ長くなります。ご覚悟を。

この作品について

今回サブスク解禁を行うにあたり、公式流通に到らないまま終わっていた音源やラフミックス、スタジオセッション、デモといった類のものを、可能なかぎりひとつにまとめたいと考えた。
そのような試みはthrowcurveの活動凍結時に販売した2枚組会場限定CD-R『THE REST』でもやっているので、内容の一部はかぶっている。ただ『THE REST』をそのまま配信するのはいろいろハードルが高かったため、そうではなくて改めて再編集というかたちをとった。
今、10数年の時間を経てもう一度throwcurveと向かい合ってみよう、という気になったことも大きい。

収録内容は大きく分けて、

①コンピや限定盤には収録されたが、アルバムなどに収録されなかった楽曲
②ライヴ音源
③リハーサルレコーディング等によるラフなセッション音源
④メンバーしか耳にしたことがない完全未発表デモ

の4つに分けられる。
①に関しては、今改めて聴いてほしい!と声を大にして叫びたい気持ちだ。
②〜④は、はっきり言って録音状態がよくないものも多々あり、聴く人を選ぶかもしれない。先に断っておくと演奏もぐだぐだだったり、歌詞ができておらずホニャララ〜♪と歌っている箇所も多々ある。現役で活動していた当時だったら、さすがにこれを一般公開しようとは思わなかっただろう。
ただ、時間が経過したからこそ、改めて聴き直して自分は率直にこれを面白いと感じた。いろいろとフラッシュバックするものもあった。だからその気持ちを共有したい、という思いで収録した。

なお熱心に応援してくださっている方は「あれもこれも入ってないじゃねえか!」とお気づきかもしれない。それはそのとおりで、必ずしも全ての音源を収録したわけではない。これには相応の理由がある。

①音源が見つからなかった

選曲するにあたり、埃を被った自宅のHDDやCD-Rなどをかなりひっくり返して発掘を試みたが、恐るべきことに2010年あたりを境に、それ以前のデジタルデータがまるで残されていないのだった。これには愕然とした。(自分の管理が甘いだけともいえるが・・・何度かHDDがぶっ飛んでいるのも一因ではある)

そこでメンバーやレーベルオーナーにも連絡を取り、それぞれの手元にある音源をなるべく共有してもらった。幸いなことにメンバーは自分ですら存在を忘れていたようなデモ音源をかなり保存してくれていたので助かった。本作後半に収録した音源は、ほとんど彼らが提供してくれたものだ。

それでも、残念ながらどうしても見つからない音源もあった。『わたしがすごくきらいなもの』の完パケとか、本当は入れたかったんだけど。無かった。
データ管理大事。

②収録したくなかったもの
そういうのももちろんある。理由はさまざまだ。
throwcurveの音楽はラディカル、と言えば聞こえはいいが、だいぶすっとんきょうな曲も平気で公開していた時期があった。そういうものもひっくるめて赤裸々に晒しちゃう俺カコイイ、と思えなくもなかったが、ここは大いに悩んだ末にいくつかの楽曲はあえて収録を見送った。そういう意味では、恣意的な作品でもある。

逆に、「それはthrowcurve名義と言えないのでは?」という音源もいくつか含めている。これも自分の恣意的な動機によるところだ。理由については該当曲のセクションで記しているので、どうかひとつ選曲者権限ということでお許しいただきたい。

さて前置きがすでに冗長になってしまったが、それではいよいよ各曲を振り返っていこう。もう一度釘を刺しておくと、めちゃくちゃ長いです。ご覚悟を。


世界のはじまり(2023 Remaster)

2006年8月発売『第3世代compilation album vol.2』に提供した1曲。ライヴでは確か2005年頃からやっていたのでは?と記憶している。
この時期のthrowcurveは、コンピにも参加したように“第3世代”を標榜して新高円寺発のシーンを築こうとしていたザ・ガールハントなどのバンドとのツアーや、ART-SCHOOLのツアーサポートなど、ざっくり言えばギターのドライヴ感とビートの疾走感でぶん殴ってくるようなライヴをするバンドとの共演が多かった。
我々にはそういう局面で太刀打ちできる楽曲が今ひとつ足りなかったので、「ぶん殴れる曲が欲しかった」というのが制作動機だったような気がする。身も蓋もないが。

当初は「世界のおわり」という曲名で考えていたが、世界をはじめる方がなんか大それてて自分たちらしいのでは?と歌詞を書き進めるうちに考え直し、変えた。
改めて聴くと、コーラスワークにけっこう凝ろうとトライしていたのが新鮮だ。

コンピレーションアルバムのマスタリング段階でもう少し低音を強調してもらいたいと想定していてマスタリングにも立ち会ったのだが、他楽曲との兼ね合いもあってどうしても思い通りにはならず、発売された音源バージョンには正直不満があった。ので、今回自分で最低限のマスタリングをやり直した。
17年を経て、ようやく聴いてほしかったサウンドになった。

テレビ!テレビ!テレビ!

2008年に会場限定販売したCD『8bitter』の2曲目に収録。
この曲、当時の記録を見ると2回しかライヴで演奏していないらしく、そこまで話題にもならなかったように思うのだが、個人的にはthrowcurve的ポップソングのひとつの終着点な気がしていて実は大好きなのである。

跳ねるリズム、独立した2つのギターリフの絡み、実は複雑だがそう聴こえないコード進行、シニカルかつふざけた歌詞など、結成当初のthrowcurveがやりたかったことがかなり昇華されているなと感じる。演奏もいい。
ギターサウンドは当時The Futureheadsあたりから影響されていたと思う。
この未発表曲集を出すにあたり、ぜひ改めて聴いてほしいと思った楽曲のひとつ。

歌詞は「これからお休みになる方も、そしてお目覚めの方も〜」で始まる早朝のニュース番組のキャスターのことを思いながら書いた。まあ、当時どういう生活をしていたかが窺い知れるというものだ。

都会の生活

2005年頃からライヴではかなり頻繁に演奏していた1曲。2006年頃にレコーディングし、出すタイミングをうかがっていたものの、なぜか結局リリースされなかった。当時の記述によると「いい曲すぎて収録見送りになった」らしい。なにそれ。

その頃の自分はフィルムカメラに凝っていて(まだきりぎり35mmフィルムが当たり前にどこの街でも現像に出せたのだ)、暇な日はカッコつけてカメラを提げ、スナップ撮りに出掛けていた。
当時の下北あたりをぶらつきながら、とくに何も得るものもなく日が暮れていったときの軽い失望感と、反面なんとなく心地よい気怠さ。そういう気分みたいなものを煮詰めた曲だなと思う。
「薬屋の角曲がった 長身の君は犬を連れて 歌うみたいに去ったから 僕は両眼でスローシャッターを切って」という一節がある。
これはカメラをやる人間は誰しも考える「ああ!自分の目にシャッターがついていれば今この瞬間を撮影できたのに!」という感情に基づく表現だが、まさかそれから10数年やそこらで、実際にまばたきで撮影できるスマートグラスが開発されるとは思わなかったよ・・・

ちなみに愛用していたカメラは中古のオリンパスOM-1。
デジカメのOM-Dシリーズではない。

エーとビー

『8bitter』のリードトラック。曲自体はそれより前からあって、2007年『リコール』収録候補でもあった。

2000年代後期のthrowcurveがダンス志向になるよりちょっと前、たまたま先んじてダンスビートを取り入れていた曲。なのでテンポも若干速いし、そこまでハネてもいない。

歌詞はタイトルが示す通り、ファミコンゲームをテーマに書いた。throwcurveは他メンバー3人がツアー先にプレステ2を持って行っていたほどのヘビーゲーマーだったのだが、自分はそこまでゲームに明るくなかったため、表現の引き出しが8ビットのファミコン時代で止まっている。
なお後半に出てくるコーラスは「コナミコマンド」を連呼している。わかる人にはわかる。

イントロ冒頭のギターリフは「ビバリーヒルズ青春白書」のテーマ曲のイメージで弾いたのだが、全然そんな風にならなかった(当初はもっと80s風のダサみがある曲にしたかった)。
そこに絡んでくる関山のへんてこギターフレーズがまた、いかにも関山らしい。こういうフレーズは上手い人が弾いてもなかなかこうはならず、あんまり面白くないのである。不思議なものだ。

リリース時に映像チーム・バウムクーヘンが制作してくれたMVでは、1998年に発売された迷ガジェット「ゲームボーイ ポケットカメラ」を使って撮影するという、無駄にチャレンジングな試みをした。当時からして「こんなのあったんだ…?」と時代を感じたものだが、今改めてMVを観るとむしろ真っ赤なカーディガンにピタピタの黒スキニーという自分の格好のほうに「こんなファッションしてたんだ…?」と若干こっ恥ずかしくなってしまう。


ブラックバード

throwcurveが所属していたレーベル・stereogliderのコンピレーションアルバムに提供した曲。
この曲の制作に関しては当時いろいろな思いがあったと記憶しているが、あけすけに言えば「めっちゃ売れそうな曲作ろう!」とだいぶ気負って作った。
throwcurveが当時持っていた要素をとにかくポップに振り切ったらどうなるか?というのがテーマだった。曲の原型は関山が持ってきたのだが、当時バンドシーンではポストハードコアやマスロックを通過したスタイリッシュなアプローチのサウンドが台頭してきており(例:the band apartなど)細かなキメ多めなアレンジはそのあたりを少なからず意識していたはずだ。
ある意味、その時流に呑まれていくことに対して自分の中では葛藤もあり、多少の反抗精神も伴って、関山のメロディを大幅に変えて歌もの全開なアプローチにリライトした。

歌詞についてもそれまでは内省的だったり、自分視点から外に向かって投げかけるものがほとんどだったが、この曲は「鳥」という主人公を設定して書くという、自分の中ではあまりトライしてこなかった手段をとった。

結果として、当時の自分は「売れ線という悪魔に媚びてしまった」みたいな悩みに結構苛まれた。ポップな曲はこれでもうお腹いっぱい、という反動が翌年の『リコール』の構想に繋がっていってたりする。

とはいえ、今改めて聴くとなんでこれが売れ線だと思ってたのかよく分からないし、普通に良い曲だなと思う。
「ブラックバード」はもちろんビートルズからインスパイアされて名づけた。

3番線(new version)

「ブラックバード」と同じコンピレーションに提供した1曲。『レディオフレンドリースロウカーヴ』収録曲の再録版。
「3番線」は今も昔もとにかくお客さんからの人気が高く、バンドとしても代表曲のひとつと認識していた。ただオリジナルverのレコーディング音源は演奏力的にも、ボーカルのスキル的にも納得いくものではなかったため、デビュー数年を経て脂の乗った状態で満を持して録り直しちゃおうYO!という経緯でレコーディングしたのだった。
しかしながら、これはその前年に「アルファ」を再録した時もそうだったのだが、意外とリテイク版の評判って必ずしも芳しくない。バンドとしては、少しでも実力をつけた状態の演奏で届けたいのだけど、ガチャガチャしていて荒削りなオリジナル版にしかない魅力は超えられないという評価もまたあるのである。音楽は面白い。

1981

2010年1月に会場限定販売したCD-R音源。
当時はトートバッグにジャケットデザインを印刷し、「トート付きCD」として販売していた。
元々は東放学園という音響専門学校の生徒さんからの依頼で、レコーディング実習の一環として録音したもの。最終的にはそこで録音したパラデータを預かり、当時お世話になっていたGrand Traxレーベルのディレクター・JIMAさんがリミックスして完成させた。

「バンドマンあるある〜!曲名に生まれ年の年号つけがち〜!」という曲。
歌詞がなんとも甘酸っぱい。叶わぬ恋でもしていたのか。でもまあその後自分のソロでもセルフカバーするくらいには気に入っているし、個人的には「3番線」と双璧をなすくらい、よく書けたなと思っている曲である。

ちなみに、この音源集をすっきり心地よく聴き終わりたい場合は、
この曲あたりまでで再生をやめることをおすすめする。

h.u.m.a.n.e.r.r.o.r

さて、ここらへんから雲行きが怪しくなってくるぞ!

この曲の誕生は2008年頃、Dr. コヤマがKORGのサンプラー・MPC1000を購入(『N.I.P』のMVで叩いているやつ)したことからはじまる。

理由は忘れたが、あるとき珍しくメンバー全員がコヤマ宅に集まって飲んでいて、みんなでやいやいMPCを叩きながら遊んでいたところ、突発的にこの冒頭のフレーズが生まれ、そのままあれよあれよのうちに打ち込みパートが全て完成した。
その音源データを持ち帰ってMTRで編集し、後日ギター、ベース、歌を重ねて1曲にしたってわけ(ドラムは恐らくMTR内蔵のドラム音源で打ち込んでいる)。

ライヴでも一時期、この打ち込みパートをオープニングSEにして徐々に生演奏を追加していく、という登場演出をやっていた。そういうの大好き。

歌詞については、なかなかひねくれて際どいことを歌っている。思えば2008年というのはそれまでのレーベルを離れ、自分たちだけでバンドを動かし始めた頃。当時としては、やはりレーベルというのは一番身近にいる“大人”だったわけで、「これでもう大人の顔色をうかがうことなく好きなことやれるぞ!」という開放感がまるごと楽曲に表出している感じだ。
(大人は大人で大変なんだぞ、と心から察せるようになれというのは、20代後半やそこらのバンドマンには酷な話だと思う)

ただ「一億総E.R.R.O.R」って言い草はどうよ?

と自問すると、まあそうだよね、と今でも思う。

この曲がのちの主催オールナイトイベント『C.L.U.B.E.R.R.O.R.S』に繋がり、そのあたりからthrowcurveは(というか俺は)お客さんのことを「エラーズ」と呼ぶようになった。お金と時間を捻出して足を運んでくれるお客さんをエラー呼ばわりするとは実に非道だ。

No Fantastic

これはその『C.L.U.B.E.R.R.O.R.S』で披露し、会場限定販売した音源。
もろにアフロビートを取り入れようと果敢に挑んだ曲。

この少し前、バンド内に(というか、主に俺に)『ハウスミュージック革命』が起こった。啓蒙したのは関山だったが、彼はいかにハウスミュージックが優生的な音楽かということを一時期とくとくと語っていた。
詳しいことは割愛するが、それが「ハウスビートを体得しなければ俺たちに未来はない!」くらいの圧だったので、はじめは価値観の押し付けに抵抗感があった自分も徐々にブレインウォッシングを施されていくこととなり、強迫観念に近い精神状態でフランキー・ナックルズやセオ・パリッシュなどを聴きまくっていた。

こうなると人間とことん偏ってしまうもので、「ハネてなければ正しい音楽ではない」「BPMの速い四つ打ちはダンスではない」ぐらいの過激思想に傾倒してしまうのである。この曲のアプローチはそのメンタルが如実に現れていると思う。

今考えてみれば、人一倍幅広い音楽ジャンルを雑食的に好んでいた関山を始め、ヒップホップ好きなスガタ、ファンクやブルースが好きなコヤマと、自分以外のメンバーはそもそも音楽ルーツにブラックミュージックがあった。いっぽう自分はUKロックやオルタナ志向が強く、それまで直接的なブラックミュージックにきちんと触れてこなかった。そんなコンプレックスがここで一気に、オセロの角を取るように裏返されたのだと思う。
(結果、それがやがてThe Future Ratioの構想にも繋がっていく)

ところでこの楽曲のミックスは正直、うるさくて聴き疲れしませんか。
しますよね?僕はします。
というのも、これが自分自身で初めて本格的にDAWのミックスに挑戦した曲なのだ。
このレコーディングは大学時代からの盟友で、当時neafというバンドをやっていたキョウヅカに録ってもらい、彼の自宅でSonar(音楽編集ソフト、いわゆるDAW)をいじらせてもらって仕上げた。とはいえコンプもEQもそれまでろくに触ったことがなかったくせに、マニュアルも見ずに丸1日ああでもないこうでもないとやってしまったため、次第に訳がわからなくなりギブアップしたのがこの仕上がりというわけである。(今回の収録にあたり、せめてものマスターEQ調整は行なった)

そんなキョウヅカは現在アートキュレーターとして孤軍奮闘がんばっている。
彼の活動、Art Studio NEAFもぜひチェックしてみてほしい。

21世紀の退屈

『No Fantastic』と同じタイミングでレコーディングした曲。前述のハウス革命より少し前、ゴリゴリにオルタナに凝り固まっていたころ。一時期ライヴでもよくやっていた。確か後半の尺は決めずに延々長回しでやることが多かった記憶がある。

まあ、尖りに尖っている曲だ。ヤケクソさすら感じる。ちなみにこの録音は未完成らしく、本来は後半にもう少し歌を乗せる予定だったらしい(当時の自分の手記を見て思い出した)。ぼんやり記憶を辿ると、多分もっとヤケクソで攻撃的な言葉をまくしたてるようなパートだったような心当たりがある。
それが追加されていたら、さすがにお蔵入りにしていたかもしれない。
完成してなくてよかった。

『No Fantastic』もこちらも、歌詞に「ポーズ」という言葉が出てくる。けっこう「ポーズとしてのロックンロール」みたいなものに対する自分のなりの逡巡があった時期かもしれない。

しかしまあ、「トム・ヨークが ひろゆきが 庵野秀明が ナウシカが  春樹が 僕らの頭をすごく良くしたはずなのに」というフレーズは今いろんな意味で絶対書かないだろうな。
言いたいことはまあ、今でもわかるけど。

ブラックフライデー(黒い金曜日)

2008年、レーベルから独立したthrowcurveは「リハスタで練習を録音した音源、そのまま売っちゃお?」という短絡的な発想で“公式低音質音源”を謳って『EVERYWEEK MONDAY&THIRSDAY 8-11PM』(以下『EVERYWEEK』)と名づけた5曲入りCD‐Rをとりあえず制作し、手売りした。そのリード曲。後に『blAck Friday』としてシーケンスを入れてリアレンジした楽曲の雛形だ。

これは関山が持ち込んだAメロの展開をセッションで膨らませ、自分がサビを乗せて完成させたのだが、初回のぐちゃぐちゃなセッションの段階でかなり「いける!」という手応えがあったのを覚えている。
throwcurveは1曲のアレンジが仕上がるのに数ヶ月〜半年かかることもザラにあったが、個人的には数曲だけ、初合わせの時点で「これはキた」と感じられるものもあった。記憶にある限りでは『ステレオ』『3番線』『無音ノート』あたりがそれ。

なお本曲も含め、この未公開音源集後半に登場する楽曲の大半は、2005年にBOSS社から発売されたポータブルMTR(マルチ・トラック・レコーダー)「BR600」で録音している。このMTRはMacBookの13インチを下回るほどの薄型軽量サイズながらかなり立派な機能を有していて、我々にとっては本当に革命的なアイテムだったのである(しかも安かった)。
特筆すべきは、かなり性能のいいステレオマイクが内蔵されていること。おかげでリハスタの真ん中に置いて録りっぱなしにするだけで、だいぶ良い感じのステレオ録音ができてしまうのだ。もちろんライン入力でオーバーダビングできるので、本番レコーディング前のプリプロ作業にも相当重宝した。
おまけに充実した内蔵エフェクトやドラムマシンまで搭載しているので、とにかく使い倒しまくった思い出がある。今となってはPCのDAWとインターフェースがあれば誰でももっとハイクオリティな制作ができる時代だが、小型ハードでどこまでできるか挑戦するのがまた楽しかった。
throwcurveの隠れた立役者がこのMTRである。

ダンシングクイーン・イズ・デッド

『EVERYWEEK』からもう1曲。こちらは『No Fantastic』路線を洗練させてキャッチーに昇華したような楽曲。今思えば、ちゃんとレコーディングしておけばよかった、とちょっと思っている。タイトルもなかなか気が利いているじゃないか。

『EVERYWEEK』に関しては今回、この2曲のみの収録とした。

エーとビー (Live at Shibuya PLUG "C.L.U.B.E.R.R.O.R.S"  2009.01.23)

throwcurveが2009年から始めたオールナイト・クラブイベント「C.L.U.B.E.R.R.O.R.S」のライヴ録音。

「C.L.U.B.E.R.R.O.R.S」について少し触れておくと、その頃はLCD Soundsystemやニューレイヴと呼ばれるジャンルが台頭してきてロックバンドとダンスミュージックが急接近していた時期。それに加えて自分自身、ライヴハウスの「お約束」に窮屈さを感じ始めており、もっと自由でぶっ飛んだパーティーがやりたい!と考えて始めたイベントだった。
初回のゲストはSuiseiNoboAzとサカモト教授。
2回目はSTAn、DJにやけのはらとトーニャハーディング、APOGEEの大城君。
良いメンツ〜〜フゥ〜〜!

当時のフライヤーがPCにたまたま残っていたので掲載。
「音楽業界関係者割増」というのを設けているのが分かる。
これは音楽業界の人が受付で名刺を提出することで、通常より高い価格で入場できるというものである。今考えても画期的なアイデアだと思うが、その後普及したという話はまだ聞かない。どうせ業界の人は領収書切って経費で落とせるんだから、若いバンドマンはみんな今からでも導入したほうがいいと思う。

さて肝心の音源についてだが、『エーとビー』のテンポが非常に遅く、正直グダグダだ。これは前述の「BPMの速いダンスミュージックはNG」という鉄の掟に則って当時どんどんテンポを遅くしていたことと、本番が深夜3時半くらいで、みんな酒も入ってベロベロだったからにほかならない。

連れてって(Live at Shimokitazawa SHELTER 2007.04.23)

こちらは『8bitter』にも収録されていたライヴ音源。
このライヴは、諸事情によりthrowcurveが結成以来初めて年明けから4ヶ月間ライヴを休止した後の復帰ワンマンで、相当気合いが入っていたのを覚えている。
休止期間中に録音していたのが後の『リコール』だ。

動物 (studio session #04)

これも『8bitter』に収録した音源。
2006年頃から、世界的SNSのはしり「MySpace」という黒船が日本にも到来し、誰もがこれで国境を越えてワールドワイドにファンを獲得できる!と夢見ていた。
自分もご多聞に漏れず、日夜マイページのCSSカスタマイズに精を出していた。

その当時、throwcurveはBR600を活用しまくっていたこともあり、スタジオリハーサル音源の「録って出し」的な試みをMySpace上でやっていた。それがこの「studio session」と銘打った企画だ。曲を作ってからお披露目までに数ヶ月以上かかるレコーディングのタイムラグから解放され、その気になれば当日セッションした内容をその日のうちに世界中に発信できるインスタントさはめちゃくちゃに魅力だった。
後に『リコール』に収録されたこの曲も、はじめMySpaceにアップし、長いこと公開し続けていたと記憶している。個人的にはかなりオルタナ偏愛思考だった時期なので、こういうドカスカ響くドラムの音像が理想だった。
『リコール』版よりも実はこのstudio sessionのほうが好きだったくらいだ。

メリークリスマス

これは『8bitter』のシークレットトラック。
シークレットトラックなので本当にタイトルが「メリークリスマス」だったかどうか正直覚えてないのだが、そう歌っているのでたぶんそうなんじゃないかと思う。
実際の演奏尺はなんとさらに長かったのだが、配信上の規制のため一部をカットして10分以内に収めた。
これもバンド演奏部分はBR600で録音した一発録り。つまり前半の弾き語りパートの間じゅう、他メンバー3人はじっと無言で物音を立てないように待っていたということだ。
後半はひたすらアドリブのジャムセッションが展開されるが、関山がだんだんクリスマスっぽいフレーズになっていく。このへんのいいかげんなフレーズ感が関山の真骨頂だ。なかなか真似できない。


〜インターミッション〜

ということで16曲まで書き進めてきたが、さすがにちょっと疲れた。。。
この文章はもちろん数日に分けて少しずつ書き進めてきたのだが、正直こんなに膨大になると思わなかった。これを残り全作品やるのか。ちょっと無謀ではないか?

それはさておき、ここからの11曲はその意味合いも含め、丁寧に語りたいので稿を分けることにする。あしからずご了承いただきたい。

それではまた近いうちに。

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