【読書メモ】澤村美幸氏『日本語方言形成論の視点』第4章

図書館で澤村美幸氏の『日本語方言形成論の視点』という本を見かけた。その第4章が「意味変化の地域差と方言形成―「スガリ〈蜂〉〈蟻〉」を例として」というものであった。「スガリ」という語の語誌には以前から非常に興味があったので興味深く読んだ。概要と感想を書きつけておく。

正直に言って、私は中国語学や分類学等に暗いのでよく理解できなかった点が多い。これらに明るい方のご教示を得たい。というよりちょっと勉強したい。

概要

第二節: 古代中央語の「スガル」は似我蜂である。上代文献における「蜾嬴(ママ、蜾蠃の誤りか)」という表記と、日本書紀における「蜾嬴(ママ)」という人物が蚕を集めされられるという話が肉食昆虫を思わせるという点から。

第三節。スガリの語は東北・中部・九州に分布。主に、東北では蜂の総称、中部では〈地蜂〉、九州では〈蟻〉。東北では、〈似我蜂〉から土中に巣を作るという共通点によって〈地蜂〉や〈土蜂〉に意味が拡張され、腰が細いという共通点によって〈土蜂〉から〈足長蜂〉に意味が拡張され、総称化していった。中部では〈地蜂〉の幼虫を食べるから、意味が〈似我蜂〉から〈地蜂〉へ変化したところで意味が固定した。九州では、土中に巣を作る、体色が黒い、腰が細いという共通点から〈蟻〉の意味に変化した。そこには音声的背景がある。

疑問1

「蜾嬴(ママ)」に対する『漢語大詞典』の説明は〈似我蜂〉の特徴と一致するというが、私は中国語が読めないので本当にそれが〈似我蜂〉を指しているのか分からない。百度百科によると蜾蠃はAnterhynchium(フタオビドロバチ属)を指すらしい。Anterhynchium(フタオビドロバチ属)はVespoidea(スズメバチ上科)に属するそうだから、分類学的にはアナバチ科(Sphecidae)に属するジガバチ亜科(Ammophilinae)より同じくスズメバチ上科(Vespoidea)に属するクロスズメバチ(Vespula flaviceps)やアシナガバチ亜科(Polistinae)に近いはずだ。

『中国語大辞典』には

[蜾] guǒ [蜾蠃](guǒluǒ)〔名〕〈昆〉トックリバチ.

とある。トックリバチ(Eumenes属)はスズメバチ科に属する(ただし分類に諸説あるようだ)ようである。

漢語における「蜾蠃」の語は古く『詩経』に見える(小雅・節南山之什・小宛。新釈漢文大系中巻p. 338。レ点、一二点はv・1・2で代用、以下同じ)。

螟蛉有v子 蜾蠃負v之 螟蛉(めいれい) 子(こ)有(あ)れば 蜾蠃(くわら) 之(これ)を負(お)ふ 

口語訳(p. 339)は

螟蛉(くわむし)に子があれば、じがばちが(来て)これを背負い持って(行く)。

となっており、注(p. 341)には

○蜾蠃負之 「蜾蠃」はじがばちの意(毛伝)。「蜾蠃」が「螟蛉」を巣の中に入れ、幼虫の餌としていたことが、「螟蛉」を自分の子として養うという俗信を生んだ。ここはその俗信をもとにした表現。また『法言』学行篇には、「螟蛉」の子に「我に似よ我に似よ」と祈っているうちに段々似てきたという説がある。「負」は、負い持つの意(毛伝)。

とある。

毛詩正義』には、注に

(略)蜾蠃,蒲盧也。負,持也。箋云:蒲盧取桑蟲之子,負持而去,煦嫗養之,以成其子。(略)

とあり、疏に

郭璞曰:「蒲盧即細腰蜂也。俗呼為蠮螉。桑蟲俗謂之桑蟃,亦呼為戎女。鄭《中庸》注以蒲盧為土蜂。」
陸機云:「(略)蜾蠃,土蜂也,似蜂而小腰,取桑蟲負之於木空中,七日而化為其子。」

とある。これも詩経の研究史を詳しく調べてみる必要があろう。

少子部連蜾蠃が肉食昆虫を思わせるというのも、実のところクロスズメバチ(Vespula flaviceps)やアシナガバチ亜科(Polistinae)やトックリバチ属(Eumenes)なども肉食であるのだから、ジガバチに限る証拠にはならない。なお、日本古典文学大系の『日本書紀』の「少子部連蜾蠃」の補注(p. 634)には次のようにある。

少子部連蜾蠃(四七二頁注五・六) 蜾蠃は万葉一七三八に「腰細の須軽娘子」とあり、腰の細いジガバチの類の称。捕えた虫を地中の巣にくわえこんで子を養う習性が目立つため、「巣借る」と呼んだものか。少子部(小子部)は明らかでないが、恐らく子部(児部)と同様に天皇の側近に奉仕する童子・女孺の資養費を担当する品部で、その管理者たる連の祖としてスガルの名を思いついたのであろう。釈紀、述義の引く私記にも「蜾嬴(ママ)取2他子1為2己子1。若因v此而為v名歟」とある。(以下略)

漢語を取り入れる際、日本にある似たものに当てはめることはよくあったことであろう。「柏」は中国では針葉樹であり、「鮭」はフグである(前野直彬1968: 2015 pp. 59-60)のと同じである。漢語の「蜾蠃」が和語の「スガル」に当てられたとしても、その「スガル」は漢語の「蜾蠃」とは別のハチであったかもしれないし、漢語の方の意味も変化したかもしれない。

疑問2

p. 61の「似我蜂との共通点および相違点」の「腰が細い」において、「地蜂」に×、「足長蜂」に○があるのはどういうことだろうか?  「地蜂」というのはクロスズメバチ(Vespula flaviceps)のことであろうが、クロスズメバチとアシナガバチ亜科(Polistinae)は体型が似ており、似たような形に腰がくびれているから奇妙である。また、「土蜂」がツチバチ科(Scoliidae)のことなら、これに○がついているのも奇妙ではないだろうか。岐阜聖徳学園大学教育学部川上研究室の「ツチバチ科の図鑑」の画像を見る限り、ツチバチ科(Scoliidae)は一般的にクロスズメバチ(Vespula flaviceps)より腰が細くないように見える。ひょっとして澤村氏は「土蜂」と「地蜂」を取り違えているのではないか?

疑問3

長野県で古く「スガリ」を〈似我蜂〉の意味で用いていた(p. 63)とするのはデータに疑問の余地があるかもしれない。というのも、その意味は方言調査等では見出されず、それらは上代文献等の注釈書からの引用や、それからの孫引きではないのかという疑いが拭えないからだ。岩波泰明(1978)に「すがり 地蜂、似我蜂の古名(以下略)」とあるのは明らかにそれであるが、人によっては誤読しかねない危うい記述である。これについては『全国方言集覧』が参照した俚言集の類を精査しなければならない。(2019年3月29日追記: 『全国方言集覧』にアクセスできる友人に見てもらったところ、『全国方言集覧』は一々の項目から原資料を辿ることができるようにはできていないようである。)

所感

私は以前から「スガリ」の語の原義はアシナガバチ亜科(Polistinae)ではないかと思ってきた。というのも、上代語の「スガル」はジガバチの意であると諸注釈書にあるが、明白な根拠が見当たらないため、疑う余地がある。長野県にはクロスズメバチ(Vespula flaviceps)を /ジスカ゚リ=/ と言う方言があるが、強いて「地-」を頭に付けるのだから、昔は地中でなく地上に巣を作る「スガリ」がいたのではないか? それに相応しいのは同じく食用になり、姿の似たアシナガバチ亜科(Polistinae)であろう。そして何より、「スガリ」の意味の分布ではアシナガバチ亜科(Polistinae)が広いのである。アシナガバチは一見蟻に似ていないようだが、よく見ると体型がけっこう似ている。分類学的にはアリ科(Formicidae)はスズメバチ上科(Vespoidea)に属するので、アナバチ科(Sphecidae)に属するジガバチ亜科(Ammophilinae)より同じくスズメバチ上科(Vespoidea)に属するクロスズメバチ(Vespula flaviceps)やアシナガバチ亜科(Polistinae)に近い。

澤村氏の示されたデータは、虚心に見れば却ってこの説を立証するもののように思われる。というのも、私は今まで「スガリ」の意味の分布の詳しいデータを持たなかったが、p. 58の地図を見ると、〈足長蜂〉という意味だけが東北にも中部にも九州にも分布しているのだ。しかも〈似我蜂〉という意味の分布は誤回答を疑いたくなるほど少ない。

このように考えれば、澤村氏が未解決とした、琉球方言で「スガリ」が蛸を指すことも説明できるかもしれない。アシナガバチは名前のとおり足が長い。タコもまた足が長い。

参考文献

石川忠久(1998)『詩経 中』(新釈漢文大系111)明治書院
岩波泰明(1978)『諏訪の方言』岡谷日日新聞社
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注(1967)『日本書紀 上』(日本古典文学大系67)岩波書店
澤村美幸(2011)「第4章 意味変化の地域差と方言形成―「スガリ〈蜂〉〈蟻〉」を例として」『日本語方言形成論の視点』岩波書店 pp. 51-71
大東文化大学中国語大辞典編纂室(1994)『中国語大辞典』(全一巻二冊)角川書店
前野直彬(1968: 2015)『漢文入門』(ちくま学芸文庫)筑摩書房

付記

(2019年2月11日)中国語大辞典・詩経(新釈漢文大系)・日本書紀(日本古典文学大系)からの引用を加筆。

(2019年3月29日)前野直彬(1968: 2015)を追加。

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