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罪滅ぼし

昨年のことになるけど、故郷にある大学病院の小児科を受診してきた。
誰がって?

わ た し で す (^o^)

いや、お前中年だろ。それはおかしいだろと思った方、これには理由があるのだ。

先天性の心疾患があり、大学生の頃まで故郷にあるこの大学病院で年一回定期検診を受けていた。2歳と18歳の時に手術を受けているので、その経過観察の意味もあったのだろう。
学校を早退して行く背徳感や特別感、非日常感は今でも覚えている。内容としては心電図、心エコーを計1〜2時間とられるのだけど、暗い部屋で診察されるから実に適度な眠さになるのが心地良かった。カップ自販機で親が買ってくれる「牛乳屋さんの珈琲」を、会計待ちの間に飲むのが楽しみだった。

確か大学生ぐらいまでは、毎年帰省して定期検診を受けていたはずだった。ところが社会人になって休みが取りづらくなり、行かなくなってしまった。

健康診断の内科検診で聴診器を当てられると、正常ではない心音だとすぐわかるので医者から指摘される。ただ、要再検査レベルの深刻なものではなく、定期検診を受けていないなら受けた方がいいと言う医師がたまにいるぐらいだった。

日常生活に支障が出ないように手術を受けたわけだし、運動しても問題ないし、病院にかかるにしても故郷まで戻らないといけないし、診察日は限られているのでピンポイントで予約取らないといけないし、そのためには仕事の都合もつけなきゃいけないし…定期検診を受けない理由を自分の中で積み重ねていた。

今回決心できた理由は、配偶者から独り身でもないんだから定期検診を受けてと言われたことと、転職により休みの都合がつけやすくなったからだ。他にはビズリーチの元社長多田氏(享年40)の突然の逝去にも影響された(生まれつきの心臓の持病があったとのこと)。
それでも重い腰をあげての予約だったけど。

ここで、冒頭での疑問(中年がなぜ小児科を受診するのか?)について触れる。

なぜ小児科にかかっているのかというと、元々小児科にかかっていたからだ。

いや、説明になってない。まるで進次郎構文じゃないか。そう思われるかもしれないが、実際にそうなのだ。

先天性の疾患については幼少期、最初にお世話になる診療科は当然小児科である。
ところが、患者が大人になった時、私も含めた先天性心疾患の患者は、様々な事情により診療科をうまく移行できない問題が生じている。

最近知ったのだが先天性心疾患の患者の診療科の問題
は学会のテーマとして取り上げられたこともあった。
私と同じ問題を抱えている人がいて、それが学会でも取り上げられるようなテーマにまでなっているとは驚きだった。また、以下にも国立循環器病研究センターHPからの引用を貼る。

近年における手術、カテーテルおよび薬物治療の向上により、先天性心疾患の約9割の方々が成人期を迎え、先天性心疾患患者数全体の約半数が成人となっているのが現状です。
この方々は当初循環器小児科、小児心臓外科で診療を受けられていますが、次第に「小児」の枠から外れてきます。
また、最近では比較的複雑な先天性心疾患の患者さんの割合が増加しています。これらの疾患は、一般内科の先生だけではなく循環器内科の先生にとってもなじみの薄い病気であることから診療を敬遠される傾向にあり、患者さんが安心して受信できる病院を見つけることが難しいのが実情です。
https://www.ncvc.go.jp/hospital/section/achd/
国立循環器病研究センターホームページより


先天性心疾患の患者が大人になったとき、それに対応できる医療機関は思いの外少ないという現状がある。上記の文から察すると昔は亡くなってしまう方も多かったようだ。医療の発展により生きることができるようになったのはいいものの、対応できる医者の数は多くない(経験値が少ないため)。

こうして35歳のおじさんが小児科を受診しているというおかしな状況ができあがってしまった。

待ち時間にふと、18歳の頃に 2回目の手術で入院した時のことを思い出した。その時は小中学生などの小さいこどもたちと一緒に入院していた。

その子たちと話すことはなかったけど、元気にやっているだろうか。

自分の病気と向き合えているだろうか。

願わくば、完治して、病気のことなど忘れて、日常生活を送れているのだろうか。

思えば自分は健常なようでいて、健常な状態であったことがない。どこにラインを引くかの問題にしても、健常であれば受けることのない定期検診を受け、受けることのない手術を受けてきた。
18歳の頃なのでだいぶ前の話ではあるが2回目の手術を受ける前、障害者手帳を取得してくださいと依頼され、地味にショックだった。
理由は手術費の自己負担割合の減免とかだったと思う。拒否する理由もないし手術代は親の負担なので一年だけ取得した。当時は健常と障害というものの間にはハッキリ線が引かれているものだと思っていたのもあり、ショックだった(実際は障害の種類にもよるが、単純な二元論ではなく、グラデーションのようなものだと思う)。

病気ではあるけど、普通の範囲だと思っていた。日常生活レベルの運動は問題無いと言われていたから普通に運動して、サッカーも許可されたから地元のクラブに入ってて、小学校のマラソン大会も上位1/3には毎年入っていて、高校の時は往復20kmぐらいチャリで通っていて、でも俺障害者かー!と、当時は思っていた。
一方でちゃっかり高速バスの障害者割引などは使いまくった。

医療の発展で、私のような境遇の人間も昔よりは健康に生きられるようになった。それは紛れもなくいいことだ。
一方、穿った見方をすれば生きてしまえるようにもなったともいえる。

だからもう少し人生続くわけだけど、配偶者と2人で過ごすにはちと長い気もする。子供は予定にないからだ。理由については大っぴらに言うようなことではないので書かないけど。

転職で年収が上がった。すなわちふるさと納税の限度額も上がった。ただ、ふるさと納税に全て使うのは自分にベクトルが向きすぎだと思った。なぜなら自分はいつも割と自分にベクトルを向けてしまうような人間だからだ。ふるさと納税までそうするのは流石に良くないかもと思った。ただ、ふるさと納税の返礼品をもらえるのはとてもありがたいし、一定額はふるさと納税するけども。

今年からはユニセフマンスリープログラムと、日本心臓財団に寄付することにした。

理由は寄附金控除が使えるからだ。

結局私はどこまでも自分にメリットないと動かない、自分に矢印が向いてる人間だ。こうやってネットでいいことしてるアピールをしないとロクに寄付もできないような人間だ。

ただ、金は公平だと信じたい。聖人君子が寄付する5,000円も、私が寄付する5,000円も、等しい価値であって欲しい。
子孫を残さない人間ができる罪滅ぼしのひとつだと、信じたい。

心臓に関する医療がもっと発展して、私みたいにバカみたいなことで悩む子どもが減るように。健やかに生きられる子が増えるように。

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