私たちは悲しみを避けるように生き延びてきた
エモの研究 その5
まとめ:悲しみの正体とは「物事が失われたときに感じる感情」というのが、僕の仮説です。正確に書くと、「モノ·コトへの期待値に対する負のフィードバック」になる。
●悲しみという感情の存在理由
なぜ悲しみなんてしんどい感情があるのか。
これは、おそらく防衛本能です。
感情は、基本的に大脳辺縁系の扁桃体が関与している、と脳科学的にされてて、危険の探知機的な役割を司るらしいです。
(大脳辺縁系は、進化的に古い脳で、温血動物になってから発達した「ウマの脳」といわれる旧皮質の一部、らしい)
ちょっと話がスライドしますが、
からだの痛み、痛覚ってなんのためにあるかわかりますか。
どうせなら傷つくなら、痛みなんてないほうが苦しまなくていいって思ったことはないですか。虫歯とか笑。
でも、痛みを感じることで、身体が危険を覚えて回避できる。
(まあそうじゃないと早々にみんな虫歯からの入れ歯でしょう)
実際、痛みを感じない無痛症の人って、火傷しやすいそうです。
あまり、痛い自覚がないので、うっかりしちゃうんでしょうね。
なので、悲しみは、おそらく心の痛覚といってもいい。
人間が進化·生存する中で、「物事の喪失」は生存に不利だとプログラムされたんだということかなと。
だから、不用意に悲しいことを味わわないように、人は喪失を避けるようになる。
●典型的な悲しみ回避
事後に悲しみから逃れようとする典型的な行動があります。
ソフトクリームを落としたとします。
でも、落とした後に、こう思い込む。
このソフトクリームはきっとまずかったんだ。
食べたら腹を壊してたに違いない。
食べないほうがいい運命だったんだ、やせるし。
後から思い直して、期待を下げる、認識を書き換える方法です。
(社会心理学では、認知的不協和というものの中で扱われます)
イソップ物語のキツネとすっぱい葡萄の話ですね。
手の届かないところにある葡萄はきっと酸っぱいに違いないとうそぶくやつ。
こじらせ女子なんかもこれなんじゃないでしょうか。
本当は女性としてモテたい、愛されたいと思っているのに、自分の(男性目線での)女性性を認められない。
こじらせ女子は、自分なんかモテないから、という自身の期待値に対する負のフィードバック、つまり悲しみから逃れようとして、こじらせてきたのではないでしょうか。(いや、知らんけど)
次回は、コトの喪失、もしくは、何を失ったのかわかってない問題、あたりにします。
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