嘘とフィクションの境目について

嘘とフィクション、あるいはノンフィクションとフィクションの境目って、非常に微妙なものだと思うんですよね。

たとえば「美味しんぼ」がフィクションであるのは誰も間違えないでしょうし、山岡士郎が実在すると思う人もいないでしょうが、登場する料理の情報は「ある程度」現実のものとして受け取るでしょう。

作者サイドとしても、現実にある食文化を伝えたり、食に関する問題提起をしてるわけで、それを現実と全く関係ないフィクション、虚構として受け止めるべきだ、というのも、ズレた話でしょう。

そうした作品だからこそ、原発事故で食品が汚染されているという記述が出た時、様々な批判が起きました。批判の是非はさておき、少なくとも「フィクションだから原発事故を扱っている内容に不正確さがあっても問題ない」とは言えない。

現実の食問題を取り扱うフィクションにおいて、食の放射能汚染の有無について間違ったことを書いたのであれば、間違った知識を広めて害を及ぼす可能性はあるし、それを「フィクションだから」で全部済ますことはできません。

これはもちろん、あらゆるフィクションの描写が、現実に沿うべきだという話ではありません。作品内容や、作中の文脈によって、そういう場合もある、というだけの話です。

この発言を千野氏は、「はっきり間違った論旨展開でそれにたいする警戒心を煽る」と書いていますが、果たしてそうでしょうか。

ある漫画がフィクションであることそれ自体は、滅多に間違えないでしょうけど、漫画の中の様々な描写を、現実に対する言及として受け止めるのは、「美味しんぼ」の料理知識等、様々にあります。

「美味しんぼ」の他の部分はどうでしょう。「美味しんぼ」では新聞社が舞台になっています。あれを読んで「新聞社というのはこういうものか」と100%信じるのは、もちろん筋が悪いと言えるでしょう。

でも実際問題、新聞社の仕事をあまりよく知らない人の新聞社イメージって、そうした無数のフィクション上の新聞社に影響されてる部分はあると思います。

そういうのは沢山あって、自分の中の北大獣医学部のイメージは「動物のお医者さん」がありますし、スイスのイメージは「アルプスの少女ハイジ」が色濃いです。

もちろん、フィクション由来の情報を事実と勘違いしたからって、それは基本的には当人の責任です。フィクション由来かどうかを自覚した上で、ちゃんとした事実を調べる時は調べ直すのが推奨されます。

が、自分の中の様々なもののイメージが、どこまでが現実なのか、どこまでが虚構由来の印象なのか、どこまでが信用できてどこまでが信用できないのかを、100%完全に区別できてるかというと、それは難しいのではないでしょうか。

私は自分が現実と虚構、あるいは真実と誤情報、主観と客観の区別が常に単純についてるとは全く思いませんし、何度も間違ったことがあり、気づかずに間違っている部分も多いです。だからこそ、そこについては慎重でありたいと思っています。

そうした意味で、現実と虚構の区別なんか、なかなかつかない、という自覚を持つのは重要なことだと思うのです。

「美味しんぼ」の原発関連の描写は、原発関連の様々なフェイクニュースと結びつき、相乗効果を上げていました。

それについて「美味しんぼという作品が虚構なのは間違えようがない」のは確かですが、そこで終わる問題ではないと思うのです。

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