あるスニーカーの靴紐を求めて(ニンジャ学会誌896号掲載)

※本稿はニンジャ学会誌895号掲載のコラムを、投稿規定に基づき半年以上の経過後に公開したものです。なお本コラムは匿名の人物により投稿されましたが、公開にあたりNJRecalls開発チームに宛てて電子メールとかで送られてきたので大丈夫です。

 おそらく物理書籍「マグロ・アンド・ドラゴン」の表紙イラスト1)が公開された時にそれは組み上がり始めたのだと思う。お手元にない方はAmazon等で検索していただきたい。いわゆる「死刑囚組」……ダークニンジャによって「咎」のカンジを刻まれ苛立ちが増していくデスドレイン、腕を恐ろしいまでに巨大なサイバネに置換しただの破壊現象となるまでに自己を消していくランペイジ……その腕にちょこんと腰掛けているのがこのコラムで取り上げたいニンジャ、アズールである。

 彼女の旅路は恐るべきものである。なんらかの闇医者家庭で育ったアズールは、イクサで腕を失ったランペイジを連れたデスドレインの襲撃を受ける。ランペイジにサイバネ腕を装着させた後、デスドレインはアズールの両親を虐殺。その場にいながら涙ひとつ流さなかったアズールは、その身にニンジャソウルを宿していると直感したデスドレインによってその後行動を共にすることになる。着の身着のまま連れ出されたと思しき彼女の服装は、両袖をちぎり取ったドレスにスニーカーのままであり、デスドレインにより与えられたニンジャネームの由来となった碧眼はしかし曇ったまま、世界を無感情に見つめ続けている。苛ついたデスドレインにより暴力を振るわれることもありながら、誰も救い出してくれるものがいないという絶望に囚われ、デスドレインを誅さんとするダークニンジャとすらイクサを交える。またキョート城浮上の際のデスドレインによる大虐殺に同行し、サブマシンガンでモータルの無差別殺戮も行ったが、最終的には見捨てられ落下、使役する透明な獣の死体をクッションに生き残る。2)

 このような第二部作中のアズールの旅路を思い起こしながら、「マグロ・アンド・ドラゴン」の表紙イラストを今一度ご覧いただこう。裸足に汚れたスニーカー。その靴紐は解けたまま垂れ下がっている。彼女の破壊され、汚されながらも癒されることのない、諦観に満ちた旅路をこの靴紐は象徴していると言えるであろう。それだけではなく、この汚れたスニーカーと解けた靴紐は彼女と辿った道筋を共有している。デスドレインにより無残に殺められた人々の血や涙、アンコクトンの重油にも似た液体、走った道の泥、彼女自身やランペイジの汗、透明な獣の抜け毛、サブマシンガンで殺戮された人々の血、暴動で焼ける家々の煤、彼女自身の癖っ毛など、そういったものを付着させながらこのスニーカーは旅をしてきたのである。

 異性の衣服や靴といったものに執着する性癖は存在する。下着泥棒や上履きを盗むなどの犯罪行為に及ぶものは無論断じて許されざるものであるが、その根本にはこういったものに執着するメカニズムが内在するということが考えられる。例えば哺乳動物は嗅覚によるコミニュケーションが大きな割合を占めており、犬などは街中の電柱等に尿をふりかけ、また他の個体のそれを嗅覚で読み取ることにより周辺の個体やその発情状態などを把握している。多くの種がフェロモンという通常の嗅覚経路とは別に交配に関係する揮発性化学物質感知経路を持っており、ヒトは例外的にこれを持っていないとされていたが、感知機能が残っているという研究結果も報告されている3)。これはヒトがヒトになる以前の生得的なコミニュケーション経路によるものであるが、さらに知能の高い哺乳動物であれば嗅覚情報と記憶の連想が連動し、特定の香りと異性との関係を結びつけてしまうことによって、香りが興奮を誘発することもある。例えばラジオパーソナリティー伊集院光氏は幼少時閲覧していた成人向けコンテンツが桐の箪笥に収納されていたことにより、桐特有の香りでそのような興奮が誘発される例があると述べている。

 このような生得的、もしくは経験的な興奮の誘発はおそらく異性の衣服や所持品への執着に大きく寄与しているであろう。例えば学校に侵入し女性の下着を窃盗したなどのケースでは、未着用の下着であればそもそも合法的に購入できるのであり(着用すみのものを売る店も存在するが)、異性の着用による化学的組成の変化がそのきっかけとなっていることがわかる。しかし、このコラムで述べたいのはアズールのスニーカーの靴紐がもたらすものはこれらと異なるということである。何故ならば、上で述べたようにスニーカーの紐というものは下着と異なり、分泌物や香りが付着する環境にない。いや裸足スニーカーだからスニーカー本体には汗とか皮膚片は付着するけど、そこらへんは大目に見て欲しい。スニーカーの靴紐の汚れはそのほとんどが着用者の外部環境を反映したものなのであり、これらを手に入れたところで生得的・経験的興奮は得られないはずなのである。

 ならば何故アズールのスニーカーの靴紐から目を離せないかということであるが、その答えは上で述べたように彼女の象徴とも言えるほどに同じ旅路を体験してきているということにあるだろう。この考えが決して特殊なものでないことは、英語において”Put onself in someone’s shoes”という言い回しが存在することからも明らかである。直訳すると(対象となる)誰かの靴を履く、という文章であるが、英語においてこの言い回しは誰かの気持ちや環境を理解しようと試みるという意味になる。すなわちアズールのスニーカーを得るということは彼女の境遇を理解したいという気持ちの表れである。そして履くことはできない。小さすぎるということもあるが、彼女自身の思いはそう簡単に理解できるものでもないからである。しかし、靴紐の汚れであればどうだろうか。アズールのスニーカーを履くことはできないが、靴紐の汚れを体験することでその恐るべき旅路を少しでも理解できるのではないか……そう考えるのも自然なことであろう。

 ここまでの論でなぜアズールの着用物の中で特にスニーカーが、それも靴紐が執着の対象になるのかということに関しての理解を深められたことと思う。すなわち、それは分泌物……しばしば性的興奮を誘発する……物とは少々遠い、直接的接触が少ないものであるからこそ、より純粋に彼女の旅路を密接に体験しているものだからである。加えて、筆者の意識に上るものが一つ存在する。それは、「芋がら縄」というものの存在である。この芋がら縄とは戦国時代のレーション…野戦糧食に相当するものであり、それ自体が食材である芋がら(芋の茎)を味噌で煮しめることにより味成分を吸着させ、乾燥して保存に耐える形態にし、さらには縄として成形することで行軍中の荷物運搬にも用いることができたというものである。喫食時にはこれを切断し、鍋に入れて水で煮出すことにより、具入りのインスタント味噌汁に相当する調理が可能だったというのである4)。
 この歴史的事例を念頭に置いてアズールのスニーカーの靴紐を見てみよう。まさにそれは彼女の旅路を濃縮して保存した芋がら縄なのである。例えばこれを水や有機溶媒で抽出し、化学分析、質量分析、DNA分析等を行えば、上で挙げたような彼女の旅路を化学的に再現することも可能であろう。さらに言えば、魚類の研究者はしばしばこれらの化学的分析手段を駆使するだけでなく、採取した魚類を調理し喫食する例がある。シーラカンス調査隊を率いた末広恭雄先生などが良い例であろう。したがって、アズールのスニーカーの靴紐サンプルの一部を化学的分析に回したのち、残りを芋がら縄のごとく調理し喫食したり、あるいは抽出乾燥物を鼻からSNIFFしたとしても、それは彼女の旅路を理解し研究したいという深い想いの表れであると言えるであろう。最後にもう一度「マグロ・アンド・ドラゴン」の表紙イラストの薄汚れたアズールをご覧いただきたい。第二部の全てが終わった後、彼女には暖かいお風呂で汚れを落としてほしいし、お風呂に入れている間に服やスニーカーの替えは用意しておきたい。ただ彼女の辿ってきた道を共にしたスニーカーと靴紐はとっておきたいし、なんなら化学的・味覚的分析を加えたい。そう思えてきたはずである。

参考文献


1)ブラッドレー・ボンド, フィリップ・N・モーゼズ(訳:本兌有, 杉ライカ、イラスト:わらいなく): “ニンジャスレイヤー マグロ・アンド・ドラゴン(キョート殺伐都市#6)”. エンターブレイン. 2014:表紙
2)ブラッドレー・ボンド, フィリップ・N・モーゼズ(訳:本兌有, 杉ライカ). 「ニンジャスレイヤー」シリーズ
3)L Monti-Bloch, B I Grosser: “Effect of putative pheromones on the electrical activity of the human vomeronasal organ and olfactory epithelium.” J. Steroid Biochem. Mol. Biol.: 1991, 39(4B);573-82 [PubMed:1892788]
4)永山 久夫:”戦国の食術: 勝つための食の極意” 2011


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