サッカー選手を辞めました



2022年6月13日

「左膝外側半月板が損傷しています」

その言葉を聞いた時、俺は咄嗟にサッカーを辞めようと思った。
それは20年以上競技者として続けてきたわりにはあまりにも呆気なく、そして突然すぎる終幕だった。

「損傷はしているけど現時点では手術をするほどではありません。だから競技は続けてください。ただ半月板は回復することがないので、いずれもっと痛みが出て手術する必要になるかもしれません」
「痛みや悪化する恐怖と闘う必要があります。だけどそれは多くのスポーツ選手が抱えてる悩みです」
ドクターはそう言ったけれど、それでも俺はこれ以上現役を続ける気にはならなかった。
これまで気持ちをすり減らしながらプレーしてきた俺に、この恐怖を乗り越えるほどよ強さが残されているとは到底思えなかったからだ。

綺麗な終わり方なんてない

20歳に単身ドイツに旅立ってから今日まで、様々な国を訪れた。
ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、ポーランド、ハンガリー、そしてスロバキア。
世界各地のクラブチームでテストを受け、契約書にサインをしてボールを追いかける日々。
サッカーに一喜一憂する日々を重ねるうちに、俺は28歳になった。
25歳を越えたあたりくらいからだろうか、いつしか自分のサッカー選手としての身の引き方を考えるようになった。
怪我をして引退、自分の衰えを感じて引退、もしくはある日突然ギターの弦が切れるように情熱が冷めて引退……。
色んな想像をしたけれど、どれも自分の未来に重なることはできなかった。
サッカーが好きで、それこそ神様が許されるのなら死ぬまでボールを追いかけていたい。
そんなサッカー小僧のまま大人になってしまったからこそ、いつしか必ず訪れるはずの「引退」の時を、カケラも想像できなかったのだと思う。
全く先の見えない未来の中で、漠然とした願望だったけれど「綺麗に終われたらいいな」とだけは想像していた。
だけど俺は、怪我もなく、心身完全燃焼できるまでボールを追いかけられる選手がどれだけ幸せなのかにも気付いてきた。
だからこそ、自分は綺麗にサッカーを辞めることはないのだろうと思っていた。
どれだけ歳を重ねても怪我をしても、心身が完全燃焼する時が来るとは思えなかったからだ。
そんな予感があったからこそ、俺はすんなりと自分の引退を受け入れることができた。

半月板損傷は最後の1ピース

引退を決めて病院を出た帰路の途中、真っ先に小〜中学校にお世話になった監督に電話をかけた。
「半月板損傷しました。この恐怖に勝てる気はしません。サッカーを辞めようと思います」
厳しく指導してくれた監督は指導は当時より何倍も柔らかい口調でこう言ってくれた。
「お前は気持ちでやってきた選手だから辞めれないと思うよ。半年一年経ってまたやりたくなればやればいいじゃないか」
恩師の言葉に、少しだけ心が揺らいだ。
「でも今はとりあえず家族と支えてくれた彼女と、今まで走り続けていた自分の身体に感謝しなさい」
最後にそう言ってくれた監督の言葉に目頭が熱くなって、電話を切って雨に打たれながら1人で涙を流した。

その後家に帰って両親に辞めることを話し、かつて指導を受けたコーチや幼少期に近所で一緒にボールを蹴っていた友人、ずっと仲の良かった女友達、サッカー活動を応援してくれてた美容師、そして中学校の頃から腰や膝をずっと治療してくれてたドクターなど、お世話になった人たちに順々に電話をかけたり直接足を運んで最後の挨拶をした。
俺の突然の引退宣言に皆驚いていたけど、その反応は様々だった。
両親は俺の判断に疑問を持っているようだった。お袋は心なしかまだサッカーを続けて欲しそうにも見えて、その表情に胸がすごく痛くなった。
中学校で一足先にサッカーを辞めた友人は、俺の頑張りを見て「勇気をもらってたよ」と言ってくれた。もう何年も会ってない友人からの言葉に、俺はまともな返事を言うこともなく、曖昧な言葉で泣いてるのを必死に悟られないようにすることしかできなかった。
美容師の人は俺の話を聞き、金髪を黒く染めてくれたけど、黒染めにはせずにあくまで一時期的に黒くしただけだと最後に種明かしをした。
「またサッカーしたくなった時に金髪にすぐ戻せるようにね。一度黒染めするとブリーチするの大変だから」
その優しさと気遣いに、店を出てやっぱり涙を流した。
俺よりもサッカーを続けて欲しいと思ってくれることが嬉しくて、そして何より申し訳なくもあった。
接骨院の先生は終始笑いながら俺の決断を聞いてくれた。
「私も君の挑戦を楽しませてもらってたよ。お疲れ様」
どんな怪我をした時も笑って明るく支えてくれた先生らしい言葉だと思った。
そして先生は最後にこう言った。
「きっと半月板損傷は最後の1ピースだったんだよ。コロナ禍もあって色んなストレスが重なって、きっとサッカーを辞めたいってビンゴがリーチになっていて、その最後に偶然半月板損傷がきただけ」

確かにな、と思った。
コロナ禍で2年も渡航ができなくて、その間に歳も重ねて怪我もして、そしてようやく掴んだスロバキアでの挑戦ではシーズン開幕前に怪我をして帰国した。
日本でリハビリをしていて、本当は明日の飛行機でスロバキアに帰るつもりだった。その着前に半月板損傷が判明して、完全に心が折れてしまったのかもしれない。
だから半月板損傷はあくまで偶然訪れた最後のピースで、仮に半月板損傷をしていなくても俺は近い将来サッカーを辞めていただろう。
そう思うと、少しだけ心が軽くなった。
それと同時に、これまでどれほどの負担を心身にかけてサッカーを続け、身体の悲鳴を無視していたのだろうかとも。

実は七隈の病院で診察を終えて監督に辞める旨を伝えた後、地下鉄で博多まで帰っている道中で俺は意識を失った。
車内で突然倒れ、そして博多駅に着いた瞬間ホームでまた気を失って、二度倒れた。
近くにいた女子大生や仕事帰りのサラリーマン、主婦のような方、駅員など多くの人に支えられて俺は意識を取り戻した。

女子大生の二人組が呼んでくれた救急車で身体の異常がないことを確かめて降りた時、頭ではサッカー選手引退を受け入れていても身体はまだ受け入れきれていないことに気が付いた。
でもそれも仕方ないのかもしれないと思う。
もう20年以上サッカー漬けの毎日を過ごしてきて、唐突にその終焉がきて身体がすんなりと受け入れることができるわけがないのだから。
きっと身体はまだサッカーをしたいんだろうなと思う。
だけど、それでも、もうこれ以上サッカーを続ける気にはなれなかった。

この先の人生のほうが長い

海外でプロサッカー選手。
そういえば聞こえはいいものの、実際に俺が貰ってた給料はほんの僅かなもの。
ドイツ8部から始まりオーストラリア4部と6部、ニュージーランド2部ポーランド6部、ハンガリー6部にスロバキア4部。
無名中の無名の世界を歩く旅路の中で、本当に多くのものを学ばせてもらった。
サッカー選手としても、1人の人間としても、この経験は間違いなく俺を強くしてくれたと思う。
底知れぬドイツのサッカー熱も、オーストラリアで見た空の青さも、ニュージーランドの澄んだ空気も、ポーランドの上空に広がるプラネタリウムのような星空も、ハンガリーの厳しさと優しさを含んだ風も、スロバキアの人々の温かさも、俺の身体が味わった全てを、きっとこの先何十年先も忘れることはない。
圧倒的に苦しかった思い出が多いサッカー人生の中でふいに訪れる小さな成功も、海外で経験した全てを、俺は抱えて生きていく。それはいつしかセピア色に染まったとしても消えない、綺麗なキレイな宝物として胸の中に残り続けるのだろう。

だけど、この刺激的だった20数年のサッカー人生以上に、まだまだ人生は続いていくのだ。
今後サッカー以上に夢中になれるものに出会えるとは思えない。ここまで人生を賭けて没頭できるモノに出会えないまま、俺は歳をとって死んでいくのだとも。
そのことに気付いているからこそ、俺はサッカーに代わるものを無理やり探そうとは思わない。運良く出会えたらいいな、程度で、闇雲に探したらところでそれが本当にやりたい事になるとは思えなかったからだ。
だけど仮にサッカーに代わるものに出会えても出会えなくても、いつまでもこの20数年の出来事を砂時計をひっくり返して眺めるような、過去に捉われる生き方だけはしたくない。
「昔は海外でサッカーやってて楽しかったよ。でも今は今で楽しいよね、前ほどじゃないにせよ」
そう言って時々振り返れるような、そんな大人になりたいと思う。

最後に


今後に関してはまだ何も決まっていません。
やりたい事もないし、何をすればいいかも分からない。ただサッカーからはもう離れて、無縁の世界で生きていきたいと思う。趣味のサッカーも、社会人のサッカーも、なんならJリーグだって見たくない。それくらい、今はサッカーから離れたい気持ちが強いから。
ただエージェントの仕事があって、6/29からしばらくの間はドイツのデュッセルドルフに滞在することになっているから、それが終わってから年内はゆっくり休んで、2023年から新たな人生を模索しようと思います。

俺のサッカー人生は終わりました。
もう身体のことで悩むことも、高いスパイクを安く買う方法を探す事も、スポーツショップに行く事も、夜道に1人でランニングすることがないのだと思うと、やっぱり寂しく感じて心にポッカリと穴が空いた感覚が走る。
サッカーでやり残したこと、後悔だってまだまだあった。
ポーランドでもう一度挑戦したかったし、ドイツでもまたプレーもしたかった。ヨーロッパ1部リーグの夢も叶えてないし、まだまだ俺には果たし損ねた野望が沢山あった。
だけど、それらが全て叶わなかったことも含めてきっとサッカーであり、人生なのだと思う。


最後になりますが、これまで応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
俺は下手くそです。
才能もないし、センスもないし、実力だって全くありません。
でもそんな俺がこの歳まで海外でプレーできたのは、間違いなく足りない部分を皆さんの応援がプラスアルファになって補ってくれたからだと思います。
自分の力だけでは絶対にこんな素晴らしい冒険をすることはできませんでした。
だから俺には関わる全ての方に、この場を借りてお礼申し上げます。
2022年6月13日をもって、自分はサッカー選手を辞めました。
もしかして半年後、数年後にやっぱりやりたくなって未練がましく現役復帰を宣言するかもしれませんが、海外で高みを目指して駆け抜けたサッカー人生は一旦ここで一区切り。
今後は一般人として、静かにひっそりと暮らしていこうと思います。
だから各種SNSの更新もこれを最後にするつもりです。
ただ、自分は文章を書くのが好きだし、こうして時々このnoteを更新し、自分の思ったこと、感じたこと、他愛もないことを書いていこうと思います。
サッカーを辞めた一般人のnoteなんて楽しくないかもしれませんが、時々気にかけていただけたら幸いです。

重ね重ねになりますが、本当に今までありがとうございました。





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