見出し画像

サッカーの本質とは

お久しぶりです。
お久しぶりすぎたかもしれません。
InstagramやFacebookの方ではお伝えしましたが、先日公式のリリースがあって4年前に所属したポーランドのクラブと再契約することになりました。


リリース時には日本語訳も付けてくれました

このnoteにも書き記したけど、昨年大怪我を負ってサッカーを辞めようとしてた自分に声をかけてくれたクラブです。本当に有難い。

発表は8月になりましたが7月中旬からポーランドには渡航しており、チームの練習やプレシーズンに参加していました。
ポーランドに戻ってきて未だ3週間。
まだ1ヶ月も経過していないのだけど、それでも前回4年前にここでプレーしていた時と比べるとあまりにも心境が違いすぎて、今日はこの3週間で感じた過去との違いを書き記したいと思います。

追い込みすぎていた4年前

あの頃は色々と間違っていた……と思う

4年前に初めてここを訪れた時、それはそれはもうだいぶイキリ散らかしてたのを覚えてる。
当時は25歳、ドイツ・オーストラリア・ニュージーランドでの挑戦を経た後、何がなんでもヨーロッパでプロになる夢を掲げてポーランドにやってきていた。
ポーランドに特別こだわってたわけではない。
ただ単に200を越えるヨーロッパ中のクラブに自分の映像とCVを送りつけたものの、返ってきたのはほんの僅かで、その数少ない返信の中で一番自分に「ティン」と来たクラブがたまたまポーランドにあっただけ。
もはやヨーロッパ中の下部リーグのクラブから逆オファーを拒絶され、「ここしか行くとこがなかった」、と言った方が適切なのかもしれない。
実力はないくせに野望だけは一丁前で、だからか、

「何か改善すべき点や足りない部分があればすぐに教えて欲しい。俺はこんなリーグじゃ満足してなくて、もっともっと上に行きたい」

そんな失礼なことを、監督やコーチに平気で口にしていた。
待遇も悪くないし、チームの関係者もサポーターも本当に当時から自分によくしてくれて、だからこそ気を許せばすぐに現状に満足してしまいそうで、自分の掲げた目標を実現するためには、そうでもして発破をかけないとダメになりそうな気がしていたのだ。

試合前は塞ぎ込むようにイヤホンをして周囲の選手たちと距離をとり、試合や練習で良いプレーをしても「もっと上の相手には通用しない」と言い聞かせ、常にこのレベルに浸らないようにマインドセットをし続けた。
練習後もグランドに残り自主練に励み、「オーバーワークになるからそれ以上はやめろ」と監督から言われて無理矢理切り上げられると、家に帰って走り込みに行った。
当時25歳だった自分に今後ヨーロッパで成り上がれるチャンスが多く残されているとは思えず、少しでも現状を変えたくてガムシャラになりすぎていたのだと思う。

周囲と比べては自分の実力のなさに落ち込み、寝れない夜は無理矢理自分を奮い立たせて、朝になればボールを蹴りにグランドに向かう。
そんな日が楽しかったかと言われれば、間違いなく「ノー」だ。楽しいはずなんかない、精神を擦り減りながら過ごす時間を楽しいと思えるほど、自分は強くはなかったのだから。
だけど当時はそれくらい自分を追い込まないと、夢なんて叶わないと思い込んでいた。
実績も実力もない日本人がサッカーの本場であるヨーロッパでプロになるなら、誰よりも努力しなければならない。
ドイツでもオーストラリアでも、寝る時間を削って真夜中にジムに行ったり、どれだけ疲れている日でも走り込みに行ったり、そうやって自分を極限まで追い込む生活を何年も続けていたからこそ、そういう習慣が当たり前になってしまっていたのだろう。

そして無理なオーバーワークを続けた結果、股関節を怪我して5ヶ月ほどチームを離れた。
散々やめろと言われていた忠告を無視した結果、取り返しのつかない怪我をしてしまったのだからただの阿呆である。

その後はまぁお察しのとおり、コンディションが戻りきらず、結局サテライト(リザーブリーグ)でプレーし続けて契約満了を迎えてしまった。

選手として完全に終わり、見えてきた本質

今が一番サッカーを楽しめてる

あれから4年。
ハンガリーとスロバキアでの挑戦と、そして左膝半月板損傷と両足股関節唇損傷の大怪我を経て、この街に戻ってきた。

残念ながら選手としての自分は、完全に終わってしまった。
もうこの先上のリーグにステップアップすること、最終目標だったヨーロッパ1部リーグでのプレーも、あの頃鮮明に描けていたはずの夢は全てが色褪せてしまい、叶わぬ夢のまま「在りし日の思い出」の一部になってしまった。
今後どれだけ頑張っても願っても、色褪せてしまったそれらの夢にもう一度色を与えることはできないだろう。
だけど不思議なもので、今は当時とは比べ物にならないくらいサッカーを楽しめている。それもかつて幼少期に近所の公園で友人たちと遊びの延長線上でボールを蹴っていた頃のように、ただただ純粋にサッカーという競技に打ち込み、楽しめているのだ。

「お前らしいと思うよ。色々苦労してきたみたいだけど、最後はそこに辿り着けてよかったんじゃない?」

ポーランドのクラブが声をかけてくれて、実際に会って話してもう一度このクラブのためにサッカーをやろうと思う。
一年ほど前に怪我をしてサッカーを辞めた自分を気遣い、電話をくれた友人にそう話すと、どことなく嬉しそうな声色で友人はそう言ってくれた。
小学生の頃からよく一緒にサッカーをしてきたその友人は、中学校卒業と同時にサッカーを辞めてしまった。
だけど今は仕事の合間に海外サッカーを視聴してはサッカー好きの仲間と語り明かし、時々その友人たちとフットサルなどの大会にも出ているそうだ。

きっとその友人は自分よりももっと早い段階で、本来あるべきサッカーの楽しみ方に気付いていたのだろう。
自分の好きな場所で気の許せる仲間たちと一緒にプレーする。
必ずしもサッカーをするのに何か目標や高い志が必要なわけではなくて、好きな人と好きな場所でするだけでサッカーは十分楽しめるスポーツなのだと。

昔はそのサッカーの本質を分かっていたはずなのに、いつしか夢を追いかけることに必死になるあまり、サッカーの本来あるべき姿を忘れてしまってしまっていた。
だけど今、6カ国で9つのチームに所属し、結局何者にもなれなかった自分はその忘れていた本質に気がつき、史上最高にサッカーを楽しめている。
もう周囲の人間と比べて劣等感を感じることもなくなり、素直に自分を褒めれるようにもなった。
今まで歯を食いしばって続けていた努力も、好きなことの延長線上だと考えるだけで随分と気が楽になった。
大好きな人たちと、大好きな街のために一生懸命プレーし、勝った負けたに一喜一憂することがどれだけ楽しくて幸せなことなのか、この歳になってようやく気づくことができたのだ。

ポーランドは第二の故郷

ここが私のアナザースカイ、てきな

もうこの先何万人の観客の前でプレーすることも、サッカーを通じて大金を手に入れることもできないのかもしれない。
だけど自分が本当に気に入った街で、そこの人たちの為に一生懸命プレーするのも自分は悪くないと思っている。
そして何より、これまでの人生で一番純粋にサッカーを楽しめている今に幸せを感じている。

だけどその幸せに辿り着けたのは、紛れもなくこのクラブが自分を誘ってくれたからだ。
4年前も、そして一年前に大怪我をしてサッカーを辞めると言った時も、このクラブが声をかけてくれなかったらサッカーの本質には一生気付くことはなかったかもしれない。
だからこそ感謝の気持ちを忘れずに、残りのサッカー人生、ここの街の人たちのために捧げる覚悟で頑張りたいと思う。

サッカーを辞めなくてよかった。
今は心の底から、本当にそう思えてる。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?