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脅しから希望へ変化

 私が同居する前から、帰省のたびに「もう施設に入らないかん」と母はかならず一度か二度は口にしました。私もかなりがんばって、月に一度、一週間程度は東京から四国まで飛行機を使ってはるばる帰省。でも、母にしてみればそれでは不足。不十分。母は不満だったのだと思います。「施設入居」は完全に私へのあてつけ感がありました。
 娘がいつまでたっても帰ってこないなら、自分はもう、施設に入居するしか手がない。そんな親不孝なことをする気なのか。親をそんなところに入れて平気なのか。脅しの意味で母は施設を振りかざす。仕事などさっさとやめて帰ってこいという暗黙の脅しなのだと感じていました。
 その後、施設の意味は微妙に変化します。転倒した衝撃で座っていることもできず食欲もなく、早々に寝るしかなかった夜。
 母は嘆きにみちた声で「こんなんではもう施設に入らないかん」とつぶやきました。施設という望ましくない場所にはいるしかない自分の状況を自覚し、本気で嘆いたのだと思います。
 施設、つまり老人ホームは母にとって、みじめさの象徴。姥捨て山のイメージでした。「あの人も施設に入れられたんやと」友人がどこかの施設に入居するたびに、あの人もとうとう・・というニュアンスを漂わせて、気の毒がりました。施設入居は人生の終焉。生きながらの死。そんな感じでとらえていたと思います。
「あそこの家は親を施設に放り込んだ」という報告も散々聞かされました。役に立たなくなって手がかかるようになった親を体よく始末できる場所。それが施設でした。
 その後「施設」のイメージは一種の免罪符に変化します。施設にはいると言いさえすれば自分の衰えも無力さもチャラになって許される。本気ではいる気はないのに「施設にはいる」を連発する。
 トイレの往復さえままならなくなって、痛みをこらえつつ歩くとき「これでは無理や。施設に入らないかん」と言うのです。もちろん本気ではありません。施設にはいる気なんぞ毛頭なし。歩行の補佐をしている私に対して、いざとなったら施設にはいるから今は我慢して付き合ってくれと弁解している気配でした。
 そして再び「施設」のイメージは変化します。「施設」は一種の希望にすらなったのです。
 膝の痛みがひどくて動けず、トイレに行くのさえ困難だった日々。それでもトイレにだけは行かざるを得ず、母は必死に歩きました。
 歩きながら「どうしたらええんか。もう施設にはいるしかない」と言います。今までとは違うニュアンス。逃げ込める場所として肯定的なイメージに変化したのを感じました。
 母は初めて、施設に期待したのです。今はこんなに悲惨な状態だけど、施設にはいりさえしたら状況は変化するはず。少しは改善するはず。そんな風に感じて施設が小さな希望になったのだと思います。
 すかさず、そこをとらえました。「ほんならケアマネさんに連絡するよ。施設を頼むよ」私も施設が必要だと思っていました。「うん、そうして。もう無理や」母も素直に納得してくれたのでした。
 
 

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