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母を納得させられない

 施設の方から連絡があり「明日から預かりますよ。午前9時にお迎えに行きます」と言われて、新展開にホッとしたものの、問題は母の説得。これに手こずらされました。
 前夜も入居のことを母に説明しました。このままではトイレに行くのも大変だから施設にお願いするね。暖かくなるまでお世話になろうね。そう説明すると母は素直にうなずきます。「そうやの。わかった。それしかないやろの」寒い間は膝の痛みに難渋する。暖かくなれば痛みも和らぐ。母にもそれが分かっているのです。
 ところが翌日、明日から入居の運びになったと伝えるつもりで「施設に行くことやけど」と言い始めると「施設。なんの話な。そんなん私知らん。聞いとらん」となる。
 完全に前夜の説明を忘れてしまっているのです。忘れただけじゃない。施設に行く気など完全になくしてしまっている。
 動けるようになったからです。痛みは継続しているものの、支えてもらえばトイレにも行ける。そうなると母の頭から施設入居など、きれいさっぱり消えてしまう。
 本当に焦りました。明日は迎えが来る。今さらそれを断るわけにはいかない。母に納得してもらうしかない。でも納得したところで、しばらくたてば忘れてしまう。夫はお母さんにちゃんと説明しなくちゃダメだよと言うけれど、どんなに説明したところで、同意を得たところで、まったく意味をなさないのです。
 一日中どうしたものかと考え続けました。考えても袋小路。出口は見えません。どうすればいいか分からないまま時間だけが過ぎていきます。
 こうなったらもう、だまし討ちしかない。嘘も方便。それもまた介護の知恵だ。なんとしても母を送り出さなければならないのです。開き直るしかありません。
 持参の荷物はすでに用意してあります。取りだしやすいように小ぶりの箪笥も購入し、引き出しには中身を表示するメモも貼り付けました。
 母の外出着も用意しました。荷物も着替えも、母の目に触れない場所に隠してあります。
 いよいよ当日の朝。朝食も終わって、日課のミルクコーヒーも飲み終わったところで外出着を出しました。
「着替えようか」普通の声で、着替えるのが当然みたいに声掛け。「え、なんで着替えるん?」「デイサービスのお迎えや」「こんなに調子が悪いのに。デイにや行けんのに」ブツブツ言いながらも、無言で手を貸す私の勢いに押されて着替えが完了。
 手鏡を持たせ櫛を持たせて髪を自分でとかすようにしむけます。帽子をだしてかぶらせます。説明なし。黙々と手伝いの手を動かすだけ。
 母もいつもの外出支度で手慣れているので、私の誘導に乗せられてスムーズに支度が整う。バッグも自分で持ち、そこにデイトレのノート類を入れようとするので「それはいらんのや。今日は他のところに行くから」とバッグ共々とりあげようとしたのだけれど「これはいるんや。必要なんや」と母もバッグだけは離さない。
 そこへちょうどお迎えの車もきて、事前の打ち合わせ通り、夫が母の目に触れないようにさっさと荷物を運びこむ。
 「デイに行けるかしらん」母はぼやきつつもなんとか歩き、お迎えの人と私に両側から支えられて、玄関の段差をクリア。車にも問題なく乗り込むことができました。
 私は母の腕に手をかけて「寒い間だけやから。ぬくうなったら帰ってこれるから。3月末までやから」と説明。「うん、わかった。3月末までやの」母もそう答えたので、理解してくれたかと安堵したのですが、甘かった。母はまったく分かっていなかったのでした。
 

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