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急激な記憶力低下

 転倒の衝撃による痛みで、身体能力の低下は顕著でしたが、もっとも影響が大きかったのは、記憶力の低下でした。
 転倒の翌日、母はすでに転んだことを忘れていました。
「なんでこんなに腰が痛いんやろ。痛とうて痛とうて。どうしたんかしら」ひどく不思議がったのです。
「転んだからや」「私、転んだんやったかしら。ほうな~転んだん。そんなん忘れてしもうた」
翌日もまた、同じように起き上がるのさえ不自由な腰の痛みを不思議がって、同じ会話がくりかえされます。
 数日後には、さらに記憶力は低下しました。長年苦しんできた膝の痛みのことさえ、それが継続性のものであったことを忘れてしまったのです。
「痛い、痛い。痛とうて歩けんのや。どうしたんやろか。昨日まではこんなことなかったのに、歩けんようになった」痛みをなげきつつ、痛みに驚いて首をひねって不思議がります。
 母の膝の痛みは年季が入っています。昨日や今日の問題じゃない。今年も去年も一昨年も、いつだって膝の痛みに苦しんでいた。膝の痛みとともに生きてきたといえるくらいです。20年、もしかしたら30年、膝が痛いと言い続けていた。それをすっかり忘れているのです。
 医者通いをし、注射を打ち続けてなんとかかんとかしのいでいたのに、すっかり忘れてしまっている。転倒の衝撃で短期記憶のニューロンが切断されてしまったのでしょうか。神経細胞は物理的な衝撃で簡単に切断されたりするのでしょうか。
 近年は歩行困難の度合いも進み、徐々に危なっかしくなって、あっちこっちにつかまりつつ移動するつたい歩きになり「こんなになってしもうた。あんたもそのうちこうなるんで」時々はそう言ってそれが老化の必然であるかのように、私を脅したりもしていました。
 それにもかかわらず、母にしてみれば急に痛くなったとしか思えないらしく、痛みの激しさに驚き、どうしてこんなに痛むのだろうと驚いているのです。忘れたことに関する反応はほとんどなし。「そうだったかしら。忘れた」の一言で片づけられてしまいます。
 それまでも忘れることはたびたびありました。曜日や日付はもちろんのこと、様々なことを忘れます。とにかく忘れます。そのたびに自分であきれながらも、物忘れを気にして不安がっていました。認知症の不安がチラつき、かなり気になるようでした。
 その不安が、突然消えてなくなったのです。「そんなん忘れた」さらりと一言で終わらせてしまう。ためらいも不安も何もなし。淡々と、忘れたことを受け入れている。
 その淡白さには驚かされましたが、忘れたからといって、本人にとっても介護する私にとっても、問題はありません。忘れたせいで困るようなことは何もないのです。
 そんなわけで記憶力は悲しいくらいダメになりました。それでも、判断力はかわりません。
 転倒の翌日、もしかして骨折かもしれないから病院に行こうかと提案したところ「こんなんで病院にや行けるはずがない。着替えもできんのに」「なら救急車を頼もうか。救急車なら寝間着のままでも行けるやろ」「アホなこと言わんとって。痛とうて困りよるのに、病院やこし無理や。病院行けるほどの元気がない」
 なるほど。母の言うのもわかります。長い待ち時間のことなどを考えると、病院に行くのはある程度の元気がないと無理です。母の言葉には妙な説得力があって、私も納得せざるをえませんでした。この状況を改善する力は医者にはない。母はそう言い切ります。確かにそうだ。私もすんなり納得しました。
 それでも「痛い」と言い「えらい」と繰り返すので、なぐさめがわりに病院をもちだしたりもするのですが「こんなん老化や。医者には治せん」母は即答します。確かに老化は医者にも治せない。変なところで母の判断力は少しも衰えていないのでした。
 記憶力はさほど重要ではないのかもしれない。同じことを繰り返し聞かされたり、同じ質問をされたりする煩雑さはあるものの、生きるさまたげにはならない。
 それより重要なのは判断力。自分の現状を把握する力。
 私たちは記憶力の衰えを老化の象徴のようにみなして、嘆きますが、嘆く必要などないのかもしれないと、母を見ていて思いました。

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