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拒否する気持ち

 話が前後します。母が施設に入居した初日をどう過ごしたか。ケアマネさんからも施設からも報告の電話がありました。私たちは子供を保育園なり幼稚園なりに送り込んだ保護者みたいな状態。
 施設側としては母を落ち着かせてなんとか入居者を獲得したい。送り出した私の側と利害が一致して、自然な協力体制がうまれ、頻繁に報告が届いたのだと思います。
 初日はお昼ご飯を食べないで拒否。食べる時間じゃないから食べませんと母が言ったらしい。断固として言い切る母の様子が見えるようでした。心を閉じたときの表情の硬さまで目に浮かびます。
 「お家では何時にお昼を召し上がってらしたんでしょうか」
12時ちょうどです。5分でも遅れようものなら母が遅いと騒ぐので、いつも12時ぴったりに食べられるよう準備していました。「それなら同じ時間ですね」施設の人は口ごもる。母が時間を、食べない言い訳に使ったことは我々ふたりとも分かっています。
 午後からの塗り絵に参加しなかった。お風呂にもはいらなかった。母はそんな形で、拒否の気持ちを示しました。母の気持ちは分かります。自分はこの状況を喜ばない。この状況を受け入れたくない。だから拒否することで気持ちを示した。
 自分が役に立たない迷惑をかけるだけの存在になってしまっていること。母自身が常々自覚してひけめに思い、情けないと嘆き続けていたことです。母はそれを施設入居という形で、見える形で、容赦なく突きつけられたのだと思います。
 現状を受け入れるしかないけれど、受け入れたくない。その葛藤は表現しにくく、伝えにくい。言葉ではどうやっても説明しきれない。食べないという形でしか表現できない。
 拒否は自分の現状を「心」がしっかりと確認するための必要な作業だったのかもしれません。「感情もふくめた心」が受け入れるための第一段階だったような気がします。
 その日、母は一度は拒否したお風呂に再度すすめられて、今度は素直にはいったそうです。寒い時期だったとはいえ、1ヵ月ぶりの入浴。心はほぐれただろうと思います。お風呂がきっかけになったのか、徐々に適応しはじめました。

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