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近藤誠医師 がん放置説③

近藤誠説を信じた経緯
 私が近藤誠医師を知ったのはベストセラーになった『患者よ、がんと闘うな』によってです。単行本になる前。文芸春秋誌の連載で読みました。
 今あらためて読んでみると、漢字が多くて難解な印象を受けます。当時はまだパソコンも普及していなかった時代。漢字の多い硬い文章もさして気にならず、ひきこまれて強く共感しながら読みました。そして自分もがんになっても治療はしないでおこうと自動的に決意したのでした。深く考えることも疑うこともしませんでした。
 その後、近藤さんの著作をいろいろ読みました。確信にみちたがん放置説も、がんもどき説にも心から納得。良心的で勇気ある人物が人生をかけて発信していると感じていたので、疑う気持ちは皆無でした。
 『医者に殺されない47の心得』にも心から共感しました。私自身が医者や医療への抜きがたい不信感を持っていたからです。当時の私にとって医者は悪役の代名詞のような存在。だから近藤さんのどの本を読んでも、よくぞ言ってくれたと拍手をしたい思いでした。
 数少ない例外はいるにしても、ほとんどの医者が不勉強だと思っています。素人の私が知っていることすら知らない。間違ったことを平気で口にする。彼らの関心事は高級店で美味しいものを食べること、いい車に乗ること、子供を裏口入学させて医者にすること、そして患者を見下すこと。彼らにとって患者は人間ですらない。金儲けの材料でしかない。それが私の医者にたいする印象でした。
 そんな連中を信用するわけにいかない。医者への不信と反発が「医者も薬も信じるな」と明言する近藤説をすんなり信じこんでしまう下地になっていたのです。
 近藤さんの言うように、がんになったら治療は受けずに放置しよう。そう思っていたので、現実に不正出血が続いて、どうやら子宮がんらしいと自覚した後も、病院にも行く気はありませんでした。治療も受けず、何もせずに放置するのだから、病院でがんと診断されたところで意味がない。それが病院に行かなかった理由です。
 人間はひとりの例外もなく全員が死ぬ。私はがんで死ぬというだけのことだ。思っていたよりも短い人生になりそうだけれど、それも仕方がない。それが運命なら受け入れるしかない。そんな風に思っていました。
 不正出血の不快さはありましたが、生理にくらべれば量も少ない。体調も悪くないし、同年齢の人たちとくらべて体力もある。私は進行したがんの病状を具体的に知らなかったので、最後まで元気な状態が続いて最後の最後に具合が悪くなりある日バッタリと死ぬ。がんという病気を、そんな風にしかイメージしていませんでした。
 近藤さんは、がんは治療を受けずに放置すれば痛みはない。枯れるように死ねると、何度もくり返して書いています。手術や抗がん剤治療のせいで体力が低下して痛みや苦しみが生じるのだといいます。現実はそんなに簡単なものではなさそうですが、当時の私はそれをそのまま丸ごと信じていたのでした。
 無知ゆえの盲信でした。

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