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死にいたる衰え
すべからく人は死すべき定めにある。どんなに嫌だと思っても、死にたくないと切望しても、死をまぬがれることはできない。
私が自分の死を強く意識したのは、がんにかかった時ではありません。がんはただの病気。がんで死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。無知だったためもありますが「がんごとき」と軽く考えていましたから。がんで自分が死ぬとは全く思っていませんでした。
死を自分の問題として具体的現実的に考えるようになった契機は、アトゥール・ガワンデ著『死すべき定め』みすず書房でした。
この本を読んで、自分がそのうち死ぬんだ、と「その時」を具体的にイメージするようになり、かならずや訪れる自分の死に備えておきたいと願うようになりました。死についての本や、在宅医療、介護体験の本も読み漁るようになりました。
74歳の現在、私はかなり元気です。体力も気力も50代に負けない自信があります。それでも10年先か20年先、あるいは30年先かもしれないけれど、必ず今の自分のようではなくなる。
できないことが増え、生存のために他者の助力を必要とする時がかならず来る。『死すべき定め』を読んで以来、自分の衰えた姿を実感として感じるようになりました。自力で生活できない自分の姿をかなり鮮明にイメージできるようになったのでした。
認知症の予防には噛む力が大切と言われます。私はこれまで、あごの筋肉のことなど考えたこともありませんでした。
『死すべき定め』の著者アトゥール・ガワンデ氏によると、人は一生の間に、あごの筋肉量が40%減少し、下顎骨の骨量も20%減ってしまうそうです。
私はまだすべて自分の歯ですが、先進国では60歳で、平均して3本の歯を失っているらしい。
手も同様に衰えていく。手の筋肉の40%は手のひらの親指の付け根あるのだそうですが、高齢者の手はこの筋肉が減少して、盛り上がりがなくなり、平らになってしまうのだそうです。
私の左手も右手にくらべて盛り上がりがなくなっています。そして握力の低下を実感しています。今はまだ硬く締まったジャムなどのビンの蓋が開けにくい程度ですが、そのうちペットボトルのキャップも開けにくくなるのだろうと思います。
そして年を重ねるにつれて、手や指に痛みが生じる。スマホのタッチ操作が難しくなる。膝関節が痛み始め、ガニ股になる。様々な身体能力が失われていく。
30歳では1.4キロあって頭蓋骨にぎりぎりで収まっていた脳は、70歳になると灰白質の喪失のため2センチ以上の隙間があくんだそうです。最初に委縮するのは思考や判断をつかさどる前頭葉。次に記憶とかかわる海馬が委縮する。そして、認知症になる。。
死にいたる老化は「失う過程」であるとも言えます。
老化=失うことであるなら、失うことを想像して嘆いていても仕方がない。受け入れるしかない。分かってはいるのですが、どう受け入れればいいのか、どうすれば受け入れられるのか、まだわからない。
受け入れるためには、自分の価値観を、組み替えなければならないからです。組み替えるべき価値観はいくつもあります。私は日々そんなことを考えてすごしています。
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