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近藤誠医師 がん放置説⑦

放置説を信じる時代背景
 『患者よ、がんと闘うな』を文芸春秋の連載記事で読んだのは、まだパソコンが普及する前のワープロ全盛の時代。がん情報はほとんどなく、がんは死病と思われていました。患者さんにがんを告知するかどうかが議論されていた時代です。
 日本でがんの告知にかんする初の最高裁判決が出たのは1995年。近藤さんの『患者よ、がんと闘うな』が発表された年でした。最高裁はがんの告知は「医師の裁量の範囲内」としています。
 2002年になってようやく最高裁は「医師は患者家族への告知を検討する義務がある」としたようです。患者自身のいのちなのに、主導権は常に医師。人生の最後が医師の手に握られている。自分のいのちは自分のものではないのか。「自分」を強く意識しつつ生きている私のようなタイプには、腑に落ちかねる状況でした。
 我々夫婦は「どちらかががんになった場合はかならず相手に知らせる。隠したりはしない」そう確認しあったものです。何も知らないで、気がついたら死んでいたなどという事態はさけたい。自分の死を意識し、死を自覚して死にたい。そう思っていました。 

 DDTをはじめとして、日本でも大量に使用されている農薬などの危険性を訴えたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が発表されたのは1962年でした。有吉佐和子の『複合汚染』など深刻な環境汚染が話題になったのは1974年から75年にかけてです。ちょうど私が子育てを始めた時期でしたから、子供のためにも神経質にならざるをえませんでした。
 スモン、サリドマイド、クロマイなどの薬害も大きな社会問題でした。医者の処方した薬のせいで、深刻な薬害が次々と発生したのです。安心しきって医者を信じてはいけないと痛感させられる事件が続発したのでした。医者まかせにはできない。子供の健康は私が守らなければならない。自衛しなければならない。そう思いました。
 時代の空気はアンチ薬剤、アンチ医療だったのです。医学部の裏口入学も普通に見聞きしました。成績が悪くてもお金さえあれば医者になれると思われていた時代です。
 私の知り合いにも、裏口入学で医者になった人がふたりいます。ひとりは一千万。もうひとりは一千五百万。ご本人たちは裏口だったことを知りません。私はそれぞれの親からお金を工面した苦労話を聞かされました。国家試験に合格したのだから裏口で医学部にはいったとしても問題ないのでしょうか。世間は許して受け入れるのかもしれませんが、私はかなりの抵抗感がわきました。医者を信頼する気になれない体験でした。 
 医者や薬のマイナス面が次々と表面化されて出てきた時代。そんな時代を生きて、医者や薬を斜めに見ていた人たちが『患者よ、がんと闘うな』を読んだのです。医者や病院という権威に従うなと唱える「無治療。がんは放置」という説に、多くの人が飛びついたのも、掲載誌文芸春秋のその年の読者賞に選ばれたのも、当然だった気がします。

自分の考えを持つことが重視された時代
 
私が学生時代をすごしたのは、70年安保闘争、三里塚闘争など、学生運動の激しいさなかでした。ベトナム戦争もありました。アメリカ軍の使った枯葉剤の悲惨さに批判が集まりました。
 学生運動が激しくて、安田講堂事件、東大入試の中止、浅間山荘事件などがあり、ノンポリと呼ばれる学生たちも、今よりはるかに社会問題や政治に関心を持っていました。私は学生運動とは無縁のノンポリでしたが、無意識のうちに時代の影響を受けていたと思います。
 権力を妄信しない。権力を信用しない。違うと思ったら自分の人生を犠牲にしてでも反抗する。それが時代の空気だったのです。
 生き生きとした活気があり、変化が求められていました。社会は不安定におおきく揺れ動いていました。新しい形への変化が、切実に求められていたのです。
 私の大学でも「物の見方」を養うことが教育目標としてかかげられ、自分の考えを持つことの大切さが力説されていました。
 特別講師として版画家の棟方志功さんが招かれたこともあります。棟方志功さんは見た目からしてユニークな人物。そのオリジナルな生き方、独特の自由な考え方に驚かされました。
 彼は自分が人の目にどう見えるかを気にしていない。人にどう思われるかなど、まったく気にしない人でした。自分のやりたいことだけに目を向け、熱中している人。
 棟方さんは講義の休憩時間に学生の目の前でお菓子を食べました。わざわざ浅草まで買いに行った棟方さん好物の和菓子です。大勢の学生に注視されながら、美味しいと喜びつつ、ふつうに食べてみせました。
 「僕の背広、これ100万円」胸元をひろげて自慢した時も、ふつうなら鼻につくでしょうに、嫌味はまったくありませんでした。高価な背広をオーダーできて良かったねと素直に思えてしまいました。単純で素直な喜びが伝わってきたからだと思います。
 たった一度だけの特別講義でしたが、その印象は強烈でした。自由に生きること。人の思惑など気にせずに、自分の望むように生きること。その大切さを教えられた気がします。
 近藤誠さんの『患者よ、がんと闘うな』はそんな時代の空気をベースにして、時代の求めを書籍の形で提示したのです。
 「医者という権威を妄信してはいけない。権威は自説のあやまりを簡単に否定できない。患者が権威の犠牲になっている」そう説いたこの作品はベストセラーになりました。私も含め、読み手の側に受け入れ態勢が出来ていたのだと思います。
 人間は感情に立脚するから、自分のこととなると主観的になりがちです。なるべく主観的な判断をしないよう意識的に努力する。自分で考えて、自分で判断して選択する。その結果は自分で引き受ける。自分のいのちにたいしても同様。自分のいのちを客観的につきはなして考える。それが大切だと思っていたから私は放置を選択したのでした。
 体も自分であることを忘れ、意識だけが自分であるように錯覚していました。
 しかし放置によって大変になるのは体であり自分のいのちそのものです。放置によって苦しむのも体です。自分の体を守り、自分のいのちを守る。その視点が、放置説を選択した私には欠けていました。完全に頭でっかちになっていました。
 

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