20

誕生日が来た 20年生きた 成人式は行かなかった
20歳になるまで何度死にたいと思ったか、死のうとしたか、わからないけれど、それから、なんで死ねなかったのかもわからないけれど
私の人生は死にたいのが当たり前で常に死にたがっている 感情を表していると言うよりかは呼吸や癖に近い
首を吊ろうとドアノブにタオルをかけた時
ドアノブの心配をしてしまうから死ねないんだよ
こうやって行動を起こすより急アルにワンチャンスかけた方が簡単に死ねるんじゃないかとも思ったんだけどまあすごく生きているし
そんなしょうもなく小さな気持ちで死にたいと思い続け辛くなって 人に迷惑をかけて そんな中静かにフォロワーは死んでいって
自分がもっと無力で惨めに思える

最近気付いたことは頑張ると口に出す時私は壊れているということ
頑張るってよく分からない 分からずのまま頑張る頑張るとずっと唱えている頑張るって言えば耐えられる気がする ただもうこの時点でグチャグチャに気持ちが壊れている かなり躁なんだ 頑張り方も頑張る意味も何も分からないけどカッコイイからとりあえず頑張ると言ってみている最近

それから人に対する気持ちも何も整理がつかない
ひねくれ思考の私もそれだけは思想で解決できない
人に対する気持ちを整理しないと絶対に良くないと思う でも上手くいかない 間違えた方法で人に係わり続けてしまう もう少しわたしはずっしりと身構えた方がいいかもしれない そのうち刺されてもしらないよって言われちゃってる

人に迷惑を掛けたくなさすぎるのに裏目に出てずっと意味不明なことしてしまっている
思い通りにいかないことがあるだけで頭が壊れそうになってしまう 申し訳ない 器が小さすぎるから 人の気持ちも受け止められないんだから自分のことはもっと受け止めきれない もっとスマートに生きたいだけなのに ずっとクロールの息継ぎの時横ではなく上(前)に顔を上げてしまうタイプの都合のいい要領の悪い私が変わらないまま

ただブレず自分を信じ根本は変わらないままでありたい。私は人と関わる時にその人の一貫性をよく見ている。ブレている人間は好きじゃあない。少し違うと思ったら二度と関わりたくないと思ってしまう。根強く生きてそれを誰かがいつか認めてくれたらこの上ないなと思う

結局は認められたいんじゃないか

こりゃだめだ

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