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すべてを変えた あの日…(8)

翌朝は朝一番でお花を買い彼にもう一度会いにいった。

そして、三人で一緒にお花を植えた。

奥様が帰ってきた時によろこんでもらえるように。

再会を約束して私達は南三陸へ向かった。

M医師から聞いていた支援が行き届かない場所を見つけようと探したが見つからない。
迷いながら偶然に南三陸町港地区避難所が目の前に現れた。

聞いていた所ではないが車を停めた。

小さな集会所を避難所にされているようだ。
入っていくとテントの下で男性三人がストーブを囲んでいた。
声をかけるが、誰だという重い空気。
男性方は疲れている様子。
少しずつ質問をさせて頂くとポツポツと話始めて下さった。
40人から今30人ここにいる。子どもは小学1年から6年まで5人。三日前にやっと通電したこと、ボランティアからトラック1台を頂き、歌津中学校まで自分達で物資を取りに行くそうだ。
水は井戸水をくんでいる。洗濯は外の水場で手洗いをされていた。
南三陸町は40名職員が亡くなり混乱していると。

そして当時の様子の話になると、声が詰まり涙を拭われた。
それ以上は聞けなかった。
その涙で十分だ。
もう今はその涙に暮れてほしくない。

夫が写真家だというと、涙を拭った男性が笑顔を向けてくれた。
撮ってもらいたいものがあると避難所のなかに招き入れて下さった。

被災地取材に来て撮って欲しいと言われたのは初めてで、役に立てるならと嬉々としてお邪魔させて頂いた。
中では女性たちが忙しく立ち働いていた。
招き入れて下さった部屋には小さな少女を膝に乗せたおばあちゃん。そして男性の奥様だと紹介された方がこれを撮って欲しいのと、描かれた絵を見せて下さった。
あたたかい色彩で目線がやさしい絵。おっとりされている笑顔やお話ぶりだが力強さを感じさせる。
純粋なご主人とすてきなご夫婦の印象だ。

のちに奥様は行動力と信念でこの震災の南三陸の記録をご自身で冊子に纏められた。

だんだんと人が集まってきて賑やかになってきた。話し声や笑い声に大家族が暮らしているように思えた。皆が一つの家族のように感じる。

ここでもすてきなTご夫婦始め、数家族とその後も親交させて頂いた。

親戚を訪ねる感覚で帰ると仮設に移ってからもいつも温かく迎え入れて下さった。

8月に仮設を訊ねた時、Tご夫婦の娘さんとお孫さんが帰省されていた。


娘さんとは東京で再会した。富士フイルムでの写真展に来てくれたのだ。
まだ幼かった彼女の息子さんが無事に成長していく姿は生命の逞しさを感じさせてくれる。
そして同時に年月の過ぎる早さを実感する。

彼女は花を編む。花を愛でる視線はとにかく優しさに溢れ、送り手の遣いとして花に想いがのっていくのだ。

後年、この震災を通して友となった福島の大事な人が亡くなった…。

彼女しかいない、と私達は彼女に花を編んでもらい送ってもらった。
お母さんやお姉さんを亡くし、崩れた家に案内してくれた友は寂しさと優しさの人だった。

もっと話したかった

言いたいこと、伝えたいこと
知ってほしかったこと
たくさんあっただろう

この地の一人一人の人間が歯をくいしばって
今をつくってくれたのだ

ありがとう

あなたの笑顔

忘れない


その想いを彼女の編んでくれた花に託した。

つづく

あなたの心に翼あることばの一つ一つが届いて和らいで解き放たれていきますように。 サポートよろしくお願い致します✨