すべてを変えた あの日…(7)
翌日、気仙沼小学へ立ち寄り朱い鳥居がある道へと向かう。途中、夫が急にハンドルを左に切る。もうそこは海だ。[ここ気になるから入るよ]という。今は住人がいないその場所は、海水浴で賑わう風光明媚な所であったと想像できる。
全て流されコンクリートの基礎だけになった土地。そこに色とりどりの花がいくつも塀があった場所に添い植えられている。そこには軽トラが停められていて、男性が三人話しをしていた。
ひときわ大柄な白髪の浅黒く日焼けした顔に大きな目が印象的な方に夫は話しかけに車を降りた。後を追い、カメラを持ち車を降りると夫が顔を皺くちゃにし泣きながら[俺はダメだ、これ以上ダメだ、これ以上聞けない、頼む]といいカメラを担ぎガレキのなかへと入っていった。
私はどうしたらいいのか戸惑ったが、何があったのかと男性に話しかけた。軽トラの運転席に立てかけている美しい女性が笑顔で写っている写真を指差した。[俺のかあちゃん…]その言葉で夫の行動が理解できた。
[綺麗なお花ね]
[母ちゃんがいつ帰ってきてもいいようにね。花が好きだったんだ]
[そうなのね。お花のように奥様はお綺麗なかたなのね]
[そりゃベッピンだよ。東京で知り合ってさ…]
[まるで二人は美女と野獣?]
笑いながら軽トラを降りてきて、しばらく海を見ながら奥様の自慢話しに談笑した。
[軽トラに炊飯器つんでさ、二人で旅したんだ…]
[あの日はさ、怖くて二人で抱きしめあってたんだ。
でも俺は舟が気になって舟見にいったんだ。
それから…まだ見つからないんだ…
一人っ子になっちゃたよ…]
私達はただ無言で海を見つめるだけだった。
一緒にいる二人の男性は彼の友人だそうだ。一緒に花を植え、水遣りに来てくれたそうだ。
どうやら彼は階上小学校の避難所には行かないらしくこの軽トラで寝泊りしているらしい。
夫が戻り、私達は話しを聞いた階上小へと向かった。
何か心に重石を置かれたような、後ろ髪をひかれるような思いが残った。
階上小の避難所は体育館だ。
ダンボールでそれぞれの家庭ごとに仕切りをし、お年寄りから子どもまで体育館いっぱいだ。お年寄りのおばあちゃんは今まで食べたことなかった菓子パンのお昼ごはんにもありがたいという。
家を無くされた方々には食事や暖をとることができる場所があるだけでありがたいのだ。
でもプライバシーもないこの場所には長くは居られないと感じる。
仮設に入るのも遅かった地区だ。
この避難所に通い始め、以後も数家族と親しくさせて頂いた。
彼のお花に水遣りに来ていたご兄妹、折り紙で鶴を折っているおばあちゃん、95歳のおばあちゃんと息子さんご夫婦。彼らに会いに行くのがこちらに帰る楽しみになっていった。
つづく