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すべてを変えた あの日…(10)
バナナをありがたく頂いて海岸線に添い傾斜の鋭い坂道をグングン登っていく。
南三陸町大平磯という所。
[給水お願いします]の文字が板切れに書いて立てかけてある。この地区はガレキや水で遮断されていただろう大変な場所だと想像がつく。
看板が気になっていると一軒の家の庭先におばあちゃんが出て来た。
ここは無医村で保健士も来ていないと聞いた。
志津川病院へいっていたが全壊。
おじいちゃんは腰が悪くて家の中で寝ているそうだ。二人でひっそり暮らしている。
[よくきたね]と私の手を握りしめた。
どれほど心細かっただろう。
車に先ほど頂いたバナナとおまんじゅうが二つ残っている。
夫が坂道を走って取りに行く。
[おばあちゃん、これ食べて]というと手を振り遠慮する。
少しだけど、あってもこまらないから、ね、と前に差し出すと
まだ遠慮がちに[ありがとう]と受け取ってくれた。
また会いに来るから元気でいてねと手を握りお別れした。
少し坂道を下り振り返ると、
おばあちゃんはしゃがみ込んで泣いていた。
その姿に、必ずまた会いに来ようと。
それだけで元気づけられるなら。
涙を拭い気仙沼に急いだ。
彼の場所に軽トラはない。
埼玉からもってきた花を植えてしばらく待ったが、もしかしたら階上小の避難所にいるかもしれないと向った。
魚の死骸とガレキを一緒に廃棄したここお伊勢浜はすごいハエだ。
避難所にも大きなハエが入ってきている。
各家庭でハエ取り紙とハエ叩きが配られたそうだ。
そこでお花の水遣りにい来ていた彼の友人に再会した。
衝撃的な話を聞いた。
彼は6日前に脳梗塞で倒れて気仙沼総合病院に入院しているそうだ…。
軽トラで寝泊りして無理が祟ったのだ。
病室を聞き急ぎ病院へ向かうことにした。
病室へ見舞うと体の大きい彼にはベッドが小さいように感じた。
それでも20日ほど前に会ったときよりも少し小さくなり海の男の精悍さの面影はなかった。
話は分かるようで、花を植えてきたといったらうなづいた。
手を握った。
言葉を失った。
ただ、ただ祈った。
どんなかたちでも奥さんと会えますように。
それしか彼は望んでいなかったから。
またくるねと翌日も見舞った。
分からなくてもいい、こちらにいる間は一目だけでも会っておきたかった。
車を走らせていると知らぬ番号から夫に電話が入る。
彼から話を聞いたという。友人だそうだ。
入院した彼の代わりに娘さんと一緒に毎日朝と夕にお花に水遣りをしているという。
私達の話を彼から聞き
[感動した。ありがとう]とわざわざ連絡を下さったのだ。
お互いに何度も[ありがとう]と伝えあった。
この後、娘と犬を連れて帰った8月に彼ら親娘と会った。彼の場所にはひまわりが植えてあり太陽に向って綺麗に咲いていた。
娘さんは当時の様子、今の心のなかを真っ直ぐな眼差しを向けながら話してくれた。
頬を伝う涙を拭おうともせずに。
彼女には帰る度に会うことになった。
妹のように思えた。
なかなか会えないが今も心は繋がっている。
迷ったり悲しかったり心が挫けるとメールがある。
ここまで色んなことあったけどそれも乗り越えて
結婚もし二児の母となった今も近況が届く。
今もあなたの流した涙の想いは私の中に留めてあるからね。
この8月も9月も帰ると必ず彼を見舞った。
意識は朦朧としていた。
体はどんどん小ちゃくなっていった。
そして10月、
彼が亡くなった…、という連絡を彼女がくれた。
彼の場所で咲き誇るひまわりを見せたかった…。
奥さんに会えてるかな、きっと迎えにきてくれたよね。
彼はまだ私達のなかで息づいている。
さよならは言わないよ。
また会いに来るからね。
それからも帰る度に彼の場所には毎回立ち寄る。
そして
彼を感じる。
つづく
あなたの心に翼あることばの一つ一つが届いて和らいで解き放たれていきますように。 サポートよろしくお願い致します✨