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すべてを変えた あの日…(16)

 



終着駅の手前で 

あの日、2011.3.11.14.46からわたしのこころはずっと旅にでていた。 そう気がつき、今この記録をたどり始めたのは、ようやくこの旅の終着駅に辿り着こうとしているからなのだ。 

ここにくるまで、激流にながされたり、溜め池でただよい、ぽっかり浮かんだり沈んだりしながら流されるままにきたようにおもう。こころの舵をとれなかったのだ。 それは今だけを追うのが精一杯で、このこころのパンドラの箱の鍵を開けてしまったら今が崩れ堕ちてしまいそうで、進めなくなってしまいそうで怖かった。 

あの日から、このこころや体の感覚に焼き付いてしまったものが自分をまるごと覆い尽くしてわたしがわからなくなってしまうほど、巨大な影が現れてきそうだった。
 


ただ、ただ、そこで会った子どもたちから、そして生きたくても生きられなかった子供たちの分までちゃんと我が子を育てなければと必死だった。
何がどうだか分からないが、とにかく自分達の足元を見ろという強迫にかられてここまできた。

 

わたしは何故いまここにいるのか?何故生きているのか?わたしはだれなのか? いつもこころに雲となってあらわれては消えていた。 それはあの日からはっきりと、わたしのこころにあらわれた雲たちなのだ。 

人間の命は一瞬にして消えてしまう。抗いようもない。 今朝みた笑顔もまた帰ってくるとは限らない。でもいつかこの肉体は消滅していく。自然がそうであるように、生まれては消えていくのだ。 それがいつなのか。生きていけば必ず死にぶち当たる。避けては通れない。ならば何故生きる? いつか死ぬのならば何故生きるのか? あの日からこころに刻まれたもの一つひとつのカケラたちから、今、話しかけてくれる。 

生かされているから、生きるのだ。 

この世に肉体をもち生きている私達は、この世に肉体をもたない人々といっしょに生きている。 たましいは溶け合っている。そして大いなるものに生かされている。
それは自分のこころの奥深くにひっそり潜んでいるのだ。いつも一体となって共に生きているのだ。
こころの耳を澄ませばかすかなか細い声で聞こえてくるのだ。
この命は全てがとけあって共にあるから生かされているのだ。
だからこそ懸命に生きるのだ。
あなたはわたしであり、わたしはあなたなのだ。
あなたに手を差し伸べることはわたしを救うのだ。わたしを救えばあなたに手が差し伸べられるのだ。
 あなたに笑顔で微笑めば、わたしに笑顔が帰ってくるのだ。
 わたしが生きれば、あなたが生かされるのだ。
 だから、自らの手で自分の命を終わらせてはいけない。 
時がくるまで、いつかそのときがくるまで。
それは大いなるあなたのこころのなかに共にあるものだけが知る。

 わたしのこころにあらわれた雲たちは、この震災で出会ったとけあった彼らから光を放ち光の中に消えていった。 

何度も聞いた忘れないでという言葉。
 それはわたしのこころで溶け合っているものが共に生き、一緒に生きてあり続ける。
 そう感じる限り忘れないのだ。
忘れてはいない、想えばいつも共にある。 

わたしが生きることが忘れないということなのだ。
 あなたが生きることが忘れないということなのだ。 

「だから、これからも 一緒に生きていこう」 こころのなかのあなたに話しかける。 

ね、そうだよね。と青い、まっ青なそらを仰ぎ見る。 

時間はかかったかもしれない。バカ正直すぎたのかもしれない。 友人とも知人とも離れ、私達はそれぞれの個の世界の深みにはいっていった。 その6年だった。私達は記録ではなく、記憶を残していただけなのだ。 彼らとの溶け合った記憶。その色とりどりのカケラを一片一片大切に刻みつけていたのだ。 


 

生かしていただいた。ただ、ただ感謝するのみ。 

             

 

2017.10.29 完   Yukie Mizoe 

 



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