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自己愛性人格障害の人との遭遇(2)

 (1)では、まださわりしか触れていしませんが、私の苦悩が少しでも伝わったでしょうか。
 興味がある人は、読んでみてくださいね。

 Aさんに対する違和感はどういったものだったのか、少し振り返ってみようと思います。
 初めて見かけた時は苦手だなと感じたのに、いつの間にかラインを直接やり取りしたり、荷物を送りあうくらいに仲良くなったAさん。
 時間をかけて友達になったというのではなく、一気に距離が縮まったのはネットあるあるなのかなと思います。

 気になったのは、まず言い回しでした。
 人に対して横柄であったり、上から目線の発言が目立ってきました。
 一言で、偉そう。なのです。
 私が難色を示すと、その都度、取り繕うくらいは外面を気にしていたのだろうと思います。
 けれども、同時に言い訳と自分の正当性も付け加えていました。

 次に自分が被った被害を、繰り返し言い続けていること。
 相手にどれだけ尽くしたか、それなのにぼろ雑巾のように捨てられた。
 想像を超えるくらい傷ついた。
 そんなことを、感情的に時に涙を交えて話すのです。

 もう関わりのない人の情報を、敢えて手に入れて、鎮火したはずの感情に燃料を注いているようにしか見えませんでした。
 私自身の行動も、褒められないことはありましたし、Aさんだけを責める気持ちもありません。

 しかし、そんなに引きずって周りを巻き込んで、一生のトラウマのように抱えていくようなことなのだろうか、ということを昨日の出来事のように話すAさんに付き合いきれなくなっていました。

 そういう私の気持ちの変化を察したのか、Aさんの攻撃は私に向くようになってきました。

 常に誰かをバカにしていたAさんです。
 今度のターゲットは、私に決めたのでしょう。
 ない事や、物理的に不可能なことなどを、あいつは不義理だと言って相当怒っていたようです。

 Aさんがやられて嫌だったことを、今度は私にしてきました。
 ただの言いがかりなので、そんなことを言われても、私には私の生活があるし、Aさん達に合わせて生活する義理はありません。
 けれどもAさん側の言い分は、そんなことはみんなやっている、お前だけが大変なのじゃないから、こっちに義理を通せ。
 というようなものでした。

 こちらがライブ配信をしたら、早くに寝ずに、顔くらい出すべきだろう。
 
 言い分は単純にこれです。
 義理も何もないのです。
「行きたい時に行ける時に、好きな配信に行けばいいし、そもそも生活があるのだから一日中ネットに張り付いてることは出来ない」
 これはいつかのAさんの言葉です。
 その言葉を、私に言わせるのかという状況でした。
 あまりの言い分に、間に入ってくれた人が、説明してくれたのを後日報告を受けました。

 ひとつひとつは小さなことなのです。
 取るに足らないことと簡単に流せます。
 しかし違和感を覚える自分に対して、仲良くしている人にこんな気持ちを持ってしまうのはダメな事だ。
 Aさんにそんな事を言わせている、私の方が悪いのかもしれない。
 かといって、Aさんの言動を流して仲良くは出来ない。
 私が悪いのだろう、いや、Aさんだって悪い。
 どうしても看過できない言動を見て、どう処理していいのか分からなかったのです。

 今考えてみると、どちらが正しいかに、私自身も固執していたからこそ苦しんだのだというのが分かります。
 白黒で判断しなくていいというのを、自分自身で理解できたであろう現在は、つまらないことで悩んでいたなと思うのですが、
 当時は苦しみまくっていました。
  

                 (続きます)


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