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才能、センス

一説によれば心理であったり思考のエッセンスと呼ばれるものに関してはもう先人によって語りつくされてるらしいね。だからあたしの書く文章もそのどれかと重なるってことになるんだけどまあ数多の思考の中で自分が一番しっくりきたものってことで形にしてくんでよろしく。意識高い言葉でいえばアウトプットってやつかな。

今日はセンスってものが何なのかを話したい気分なので一気に書いていくよ。センス。才能。いやーいい響きだねぇ、あこがれちゃうよね。余談だけど他の人の投稿見ると結構文字幅あけて書いてんのね。読みやすいとは思うけど詩みたいでしっくりこないからあたしはせんよw

そもそもセンスってなに

さてそろそろ本題。みんなはセンス才能って何だと思ってる。結論から言うとあたしは黙々と続けることができることってのに落ち着いてる。これに関しては知り合いに話してもかなり賛否あったし正直現段階の自分の納得するところというだけで結論とは思ってない。前回の貧に関する話以上に主観が入っているよ。ではさっそくそう思う理由を。

賛否あるとも言ったし結論でもないとも言ったけどさ、正直このあたしの意見に反対している人って初期値、ないしは飲み込みの速さという意味でしか才能を把握していないような気がするんだよな。

具体例として絵を挙げるとさ、確かに最初から何となくかけちゃう人間ってのはいるし、そういうのを絵心っつってもてはやすのはよくある話なんだけどそういう人たちがすべからく将来絵で飯を食うかって言ったらそうじゃないわけじゃん。ましてや宝の持ち腐れなんて言われながら絵と関係ない人生を歩む人だって何万といる。何が言いたいかって言うとさ、絵心云々より一喜一憂せず描き続ける人間がその分野においてセンスがあるといえると思うわけよ。

いや、きれいごとですか?

うん、めっちゃ言われるしかっこつけたこと言っているなっていう自覚はある。けどちゃんとした理屈もあるんだ、ちょっとばかし聞いてくださいよ。

そもそも最初の話に戻るけどセンスや才能って何?ってことよ。上では続けることって言ったと思うけどもっと具体的に言えば一生それで金貰えなくても続くならその分野において才能あるってことよ。結果とかを超越したところに才能ってもんを定義してる。

これ聞いて一定数の人は何言ってんだって絶対思うよね。結果出すやつが上に上がっていってその踏み台として一生続けられるわけがねえだろうがと。〇すぞと。でも残念ながら死にません。続かないのはあなたにその分野の才能がないからです。

突然の過激発言。これだからイキリオタクは。あくまで主観ってことは最初に言ってあるからどんどん行くけどはっきり言って続かないなら才能無いです。結果だけ欲しいなら才能無いです。もっと深めていくとさ、自分で自分を評価できる軸ってのを持ち合わせるのが本質的な部分だと思う。ようは自己満。でも自己満って最強のエンジンなのよ。

そもそも評価軸が世間うけだったり大会の結果のみに依存している人間はその分野ではそこからの評価が途絶えれば停止しちゃうわけ。言ってしまえば脆いんだな。何のためにやってきたんだとか考え出すともう終わりよ。けど自分で評価できる軸を持ち合わせていれば仮に世間から評価されなかろうが万年ビリだろうが進み続けることができるってこと。これが何よりも重要だと思うんよね。

みっともなくない?

って思ったあなた少し競争病かも。造語です。何度も言うけど才能のある人間はその分野に関して無数の自己評価軸を持ち合わせている可能性が高い。だからパブリックな場での勝敗が継続ってとこにあんまし影響しない、もし影響してもやめるに至らない。みっともないとか言う連中が嫌いそうなのは例えば自分より年下により優れた(ここでは世間から評価されるという意味で)プレイヤーが現れたらみじめ、とかでしょ?

だから才能ねーんだよ

継続に重要なのは自己評価軸です。何度でも言う。そしえ継続力こそがセンスとも何度でもいう。

じゃあ次は少しだけクリティカルに話すとしよう。仮に自分をすごいすごい、えらいえらいって褒め続けて一生一つのこと続けたとして、それでもやっぱりなんか成果欲しくない?って。ただ続けてるだけでいいの?って。

勘違いしないでほしいけどただ続けるってめちゃめちゃ大変ですからね。めちゃめちゃ極端な話、親戚探したって学生時代からずーっと一つのこと続けてそのまま寿命で死にましたなんてほぼいないわけじゃん。ましてアスリートだって大会出られなくなったら続けないという人もわんさかいるよね。あたしの観点ではそういう人たちも才能無いってことになってしまう(笑)恐れ多い。そんなこと成しえた人間ほぼ見たことないってんならじゃあまず一つの成果として見たことない人間になれる!ってとこかな(笑)冗談めかして言っているけど結構すごいことだよ。メディア発達したせいで大体のものもう見たって感じだしさ、そんな中で他でもない自分が目新しい存在になるってワクワクするよ。まあこんなわけであたしの語る才能やセンスって公式の結果を重視する才能やセンスと並んで、もしかするとそれ以上に輝かしいものだよってことが伝わって欲しい。

先天か後天か

最後にこれがめっちゃ重要だと思ってる。自己評価軸だか何だかしらねーがそれが得られるのは生まれつきなの?生まれた後の話なの?って。

しょおおおおおおおじきめっちゃムズイ。

めっちゃムズイんだけどここはあえて先天九割後天一割って見解としておく。なんか強そうだな字面。かなり感覚チックな話になると思うので感じてほしいんだけど、競争っていう目的抜きにしてなんか続く、っていうジャンルが先天かかなり幼少期の経験で決まると思う、これあくまでも主観ってもっかい言っとくか。

普通は負けたら悔しいしそればねにしてって思っちゃうんだよ。それこそが究極の罠といっても過言ではない。だってやりがいを外部に委ねるってことだからね。もちろん競争の中で得られるものっていうのも大きいしビジネスシーンでの再現性も高い。ただその思考はセンスと対極にありますよってのがあたしの主張ってわけ。

まとめると、センスが知りたい人は

とにかく続けろ。続かねえなら続くもん探せ

というところかな。いまいち実感できない人もあたしらが70か80のじじいばばあになったとき学生時代から黙々と続けていた人がどうなってるかってのを見たときこういうことだったんだなって思ってくれると嬉しいな。誰視点だよってな、ではでは。

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