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サレルニターナ104周年記念

6月19日ですね。
サレルニターナの創設日の6月19日ですね。
1ヶ月前に残留が決まり3シーズン連続でセリエAで戦うことになったサレルニターナですが、日本での知名度はまだまだです。
そこで創設記念としてサレルニターナについてまとめてみようと思います。

USサレルニターナ1919

サレルニターナとは
まずサレルニターナについて簡単に紹介します。
南イタリアのサレルノ、アレキ・スタジアムに本拠地を置くクラブです

サレルニターナ

サレルニターナの正式名称はUSサレルニターナ1919と言います。
USというのはUnione Sportivaの略で、1919というのはサレルニターナの創設された1919年に由来します。
サレルニターナは経営破綻やオーナー交代の度に名前をマイナーチェンジさせています。

サレルノ

次にホームタウンですが、サレルノという都市でイタリア南西部のカンパニア州にあり州都ナポリのすぐ南に位置しています。

サレルノ

サレルノの歴史についてお伝えしたいのですが、サレルノにはボローニャ大学に次ぐ歴史があり医学のサレルノと呼ばれるサレルノ大学があったり4大海洋国家のひとつに数えられたりと歴史がある街なので全て書き出すとこのnoteに収まりきらないのでサレルニターナに直接関係することを1つ紹介するに留めておきます。
時代は7世紀、当時はサレルノはランゴバルド王国(今のロンバルディア州が主な領土)が交易のために置いたベネヴェント公国の一部でした、しかし774年カール大帝によってランゴバルド王国が征服されるとランゴバルド王国の王子アレキス2世によって首都が戦略的に優れたサレルノへ移されました。そしてアレキス2世によりサレルノの街が城塞化され修道院薬局がサレルノ大学に繋がる医学大学に立て替えられました。
サレルノの発展に関しては歴史があるので様々な要因がありますが、僕はこのアレキス2世紀の影響が強いのではないかと思っています。

スタディオ・アレキ

スタディオ・アレキとはサレルニターナがホームスタジアムとして使用しているスタジアムです。
日本だと主にアレキ・スタジアムと呼ばれます

スタディオ・アレキ


元々ドナート・ヴェストゥティ・スタジアムというサッカーだけでなく野球やラグビーでも使用できる多機能スタジアムでしたが老朽化に伴い取り壊しを行い1989-90シーズンに23年ぶりのセリエB昇格が決めたサレルニターナのためにサッカー専用スタジアムとして1990年にアレキ・スタジアムが建てられました。
アレキの由来については前述したアレキスから来ております。そのためアレキスタジアムはプリンススタジアムと呼ばれることもあります。
先程お伝えした通りこのスタジアムができたのは1990年で最初の試合も1990年9月2日のサレルニターナ対ブレシア戦でしたがアレキという名前がつけられたのは1991年のことです。
86年からドナート・ヴェストゥティ・スタジアムを取り壊し新しいスタジアムを作る計画でしたが、サレルニターナが89-90シーズンに23年ぶりとなるセリエB昇格を果たした(果たしてしまった)ので、ゴール裏などの整備が完了される前に試合を行っていたというなんともイタリアらしい背景があります。
そしてそれらが完了し完全体となったスタジアムにて1991年5月1日イタリア対ハンガリー戦が行われ、この試合を機に当時のサレルニターナオーナーのペッピーノ・ソグリア氏によりアレキス2世に敬意を示したアレキ・スタジアムと命名されました。
イングランド人が設計したためカメラアングルなどが他クラブと若干違い戸惑う人もいるかもしれません。しかしサッカー専用のスタジアムなのでピッチとスタンドが近く、より選手とサポーターの一体感を感じることができます。
キャパとしては37,000人ほど収容でき2週間ほど前にはコッパ・イタリア(女子)の決勝戦の会場として使われました。
ちなみに大学生のオリンピックと呼ばれるユニバーシアードが2019年にナポリで開催され、日本代表が優勝したサッカー大会の決勝もアレキスタジアムで行われており、今を輝く三笘、旗手、上田と言った日本人選手がアレキでプレーをしました。

サレルニターナの歴史

1919年に創設され、2021-22シーズンにて3度目のセリエA挑戦にて初のセリエA残留を成し遂げたサレルニターナ(先例は1947-48、1998-99シーズン)。ここではそのサレルニターナが歩んできて歴史をクラブカラーやサレルニターナの名称変更に触れながら紹介して行きます。

セリエA初残留

サレルニターナは1919年6月19日にマッテオスキアボーネによってUSサレルニターナとして創設されました。今でこそ愛称の1つとしてグラナータが使われるように柘榴色のクラブですが当初は水色と白がクラブカラーでした。1919年から1922年まではサレルノが誇るアマルフィ海岸に由来する、アルゼンチン代表のような水色と白の縦縞のデザインでした
1922年の12月に経済的な理由から同じサレルノに拠点を置くSCオーダックス・サレルノと合併しSSサレルニターナ・オーダックスとなりました。この時サレルニターナの水色と白、オーダックス・サレルノの白と黒を融合させ水色と黒がクラブカラーに採用されました。しかし1925年にサレルニターナ陣営とオーダックス陣営で意見が対立し1925-26のシーズン終わりに解散させましたがサレルニターナ陣営だった幹部が新たにカンパニアFCというアマチュアクラブをスタートさせ1927年にプロに昇格させるとファシズムの影響を受けリバルダスサレルノと合併することになり誕生したクラブをUSFサレルニターナと名付けサレルニターナを復活させました。この時カンパニアFCのクラブカラーがUSFサレルニターナにも採用されました。そのカラーというのが現在のクラブカラーの柘榴色です。しかし1929-30シーズンからは水色と白に戻しました。
そして戦争が終わりカルチョが再開された1943-44シーズンから名称をUSFサレルニターナからUSサレルニターナに戻し再び柘榴色に戻されその後一部の例外を除き今に至るまでこの柘榴色が引き継がれ続けています。
1976-77シーズンの選手給与未払いと13億5900万リラ(67万9500ユーロ)の負債により危機に陥るとサレルノの実業家グループに買い取られサレルニターナ・スポーツに改名され2005年にはサレルノの建設起業家のアントニオロンバルディに買い取られサレルニターナ・カルチョ1919へと変わったが2009-10シーズンにセリエBから3部に降格し翌10-11シーズンに昇格できなかったことによりアントニオロンバルディの借金が返済できず倒産しました。この時ラツィオのオーナーで有名なロティートによって市民クラブのサレルノ・カルチョとして再設立され2011-12シーズンにセリエD(5部相当)から再スタートを切りクラブカラーは1999-2000シーズンの3rdシャツに由来する青と柘榴色が選ばれ、11-12シーズンのみバルセロナのような青と柘榴色の縦縞模様のユニフォームを着ました。翌12-13シーズンから企業としての資格を取り戻すと現在のUSサレルニターナ1919に名が改められクラブカラーも柘榴色が復活しグラナータになりました。
そして記憶にも新しい2020-21シーズンにセリエA昇格を果たすがオーナーのロティートはラツィオも所有しており、セリエAの規範で同じ個人が同じカテゴリーの 2 つのチームの共同オーナーになることは不可能であるためサレルニターナの企業として資格を剥奪し5部降格が危ぶまれたものの現在のオーナーのダニーロイエルヴォリーノが買取最終期限の僅か2分前の2021年12月31日23時58分にロティートから買い取ったためセリエAに登録することが可能になり、サレルニターナが消滅することなく現在を迎えられています。
年越し直前にサレルニターナを買い取ったイエルヴォリーノが冬のメルカートで大型補強を行い、3度目のセリエA挑戦にて初のセリエA残留を成し遂げ今季(22-23)には2連続のセリエA残留に成功し、現在3年目に向けて動いています。

サレルニターナ用語

各クラブにはクラブとサポーターとの団結やクラブのアイデンティティをのせた言葉があると思います。
クルヴァのチャントに登場したり横断幕として掲げられたりすることが特に多い「Macte animo」と「Bersagliera」について紹介したいと思います。

Macte animo
創設100周年やセリエA昇格・残留の際に記念として作られるTシャツにも記載されるにmacte animo。この言葉はラテン語の単語で勇気という意味を持っています。
サレルニターナの設立法令第3条に「Macte animo」がクラブの理念であると明記されています。
望ましい結果を得るために逆境に直面しても勇敢に立ち向かうという意味の「Macte nova virtute, puer, sic itur ad astra」が使われる時もあります。

Bersagliera
日本語だとベルサグリエラと発音されます。この言葉はサポーターが考えた造語でサレルニターナを意味します。
1981年5月16日アレッツォ戦にて「Salernitana Bersagliera」という横断幕が掲げられたことが始まりと言われています。
エンツォ・サバトという1人のサポーターが作ったもので、友人のエド・ゲッパートが愛するクラブのために巨大な横断幕を作ることをエンツォに持ちかけ、エンツォは熱狂的なサポーターでクラブの歴史にも精通していた父のジョバンニに相談するとジョバンニはクラブのモットーがMacte animoであることやクラブの設立に愛国を掲げていたイタリア陸軍のBersaglieriが関わっていることをエンツォに教え如何なる困難にも屈せずサレルノを愛し愛されるクラブとしてBersaglieraという造語を作りました。またBersaglieraはフィールド上で躍動する選手と同じ11文字で構成されているためエンツォはこの言葉を採用し「SALERNITANA BERSAGLIERA」の横断幕を作りました。その後エンツォが属するウルトラスグループのフェデリッシミにこのエピソードが広がり多くの共感を生みクルヴァがSalernitana Bersaglieraで溢れるようになりました。
それから月日が流れ、公式がBersaglieraを使うようになったのは2022年からのことで新オーナーに就任したイエルヴォリーノがこの物語を知りエンツォに攻撃的で闘争心に溢れる当時のサレルニターナを復活させると約束し、そのシーズンにクラブ初のセリエA残留を成し遂げ、新政権となり歴史を塗り替え続けるイエルヴォリーノサレルニターナを体現する言葉として使われるようになりました。


以上になります。長くなってしまいましたが、創設104周年を迎えたサレルニターナをこれからも応援していくので今後もよろしくお願いします

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