【主に猫カフェの絶望について】かとうさんに奢られ散歩。2023/2/1
BGMにどうぞ。
なんとなく「明日、暇やで」と言ったら奢ってくれることになった。
かとうさんは「オフレコで」て言うけど自分からどんどん言うのでどこまで書いていいのか知らんけど、許可を得てから公開するが…
(修正箇所いくつかあり、※付けときますw)
近しい人が亡くなったという。でも、哀しくないと。なぜなら※人は所詮死ぬと割り切っているから。これは僕もおなじだな〜(ちょっとちゃうなw)
※それと彼が毎日続けている「うみだしラジオ」で人の悩みを聴きすぎた結果、自分の悩みを人の悩みのように感じるようになったとのこと。(ウケるね)
かとう家の聖地巡礼。
298回、逮捕されたという。
猫カフェへ。
ウインドウショッピングでもと思ったが、ユニクロと無印に身を包んだ2人が楽しめることもなく、暇つぶしに猫カフェへ。
かとうさん初めてだったのかな?僕は猫カフェは8年くらいぶりの2回目。
一度いったとき抱いた感想は「所詮、人ん家の猫なんだな」という絶望。なのでそれから足が向かなかった。
ここの猫達もおなじで、撫でられることに飽き飽きしているし猫じゃらしにもジャレない。(まあみんなの振り方もヘタだったが)
おそらく初めてだったかとうさんは8年前の僕とおなじ絶望を味わっただろう。僕は覚悟していたので黙って呪術廻戦を読んでいた。
写真の床部分は、僕が座るソファーの背もたれの後ろに同じ高さで設置されてたもの。
そこらで遊んでる子の振ってる尻尾が僕の頭にファサファサと当たったりして「これよこれ、猫様に触れたければ待ちの姿勢」とドヤりかけたが我慢しきれず振り返ってしまうとやはり離れていってしまった。次回の課題。
あまり好んで行こうとも思えないけろ、呪術廻戦読み終わるくらいまで頑張ってみようかなあ?誰か行きたい人いれば連絡ください。
かとうさんの感想。
その感想以上も以下もなく、ほとんどが猫の写真なので読む価値はないです。
(※昔かとうさんが「読む価値ない」というのを良く使っていたから使いました。悪口や皮肉の言葉ではありませんを足した方が良いかと、でないと文脈共有してない人に対してにわかーずさんの印象がわるくなる。)
普段、面構えのイイ野良猫たちを愛でているかとうさんには合わなかった模様(?)
野良猫と家猫、足立区民と港区民の様相だななどと某ネットコミュニティでアフタートークしていると、他の方からも感想が。
そうだよな。
誰もいない 僕を許してくれるのは
環境がそうさせたのか?
社会がぼくたちを分類するのか?
発達の障害だとか、生きにくさだとか、いったいどこで生きる力のことなのか?
誰が決めたのか?誰が許してくれるのか?
呪術廻戦の2巻を探すフリをしながら、撫でさせてくれる猫がいないか横目で探す。
僕は、僕を許してくれる誰かを探しているのかも知れない。
2/1猫カフェで考えたそれと似たようなことを、2/4別のともだちとの散歩でも考えることになったので「つづく」かも。
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